(4) 広報あしや 平成30年(2018年)6月15日号 No.1230 明治時代の 芦屋へタイムスリップ! 問い合わせ 生涯学習課 ☎38-2115 今年は、明治元年(1868)からちょうど150年。明治時代の芦屋はどのような様子だったのでしょうか? 一緒にタイムスリップしてみましょう。 今の3パーセントの人口だった!? 農村・漁村だった芦屋 明治時代の芦屋には、農村が点在し、田んぼや畑が広がっていました。海辺ではイワシ漁を中心に地引網漁が盛んに行われていました。 明治22年(1889)の精道村(芦屋市の前身)の人口はわずか3,285人で、現在の人口94,539人(平成30年4月1日)の3パーセントほどでした。 三条村と津知村は尼崎県!? 慶応4年(明治元年・1868)、明治維新を迎えた芦屋市域には、芦屋村・打出村・三条村・津知村の4カ村がありました。明治4年(1871)の廃藩置県では、三条村と津知村が尼崎県に属しました。そして、明治4年11月に尼崎県が兵庫県に編入され、4カ村が兵庫県下に置かれます。その後、明治22年(1889)4月に4カ村が合併し、精道村が発足。芦屋市域がひとつの行政区画となりました。精道村は、昭和15年(1940)の市制施行によって、「町」を飛び越えて芦屋市となり、現在に至ります。 芦屋川トンネルがイギリスの新聞に!? 現在、JR線が芦屋川の下をくぐり抜けるところには、かつて煉瓦で築かれた芦屋川トンネルがありました。高度な土木技術によって築かれたことから外国人の評価も高く、明治9年(1876)発行のイギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』で、「日本における煉瓦製造および組立工事の中で最も優れたものである」と挿絵を用いて紹介されています。 芦屋川トンネルは、大正9年(1920)ごろに解体され、芦屋川跨線水路橋に改築されています。 芦屋にはじめて駅ができる! 【駅ができた年】 明治38年(1905) 阪神芦屋駅と打出駅 大正2年(1913)国鉄(現JR)芦屋駅 大正9年(1920)阪急芦屋川駅 精道村に駅ができ、大阪や神戸へのアクセスが飛躍的に向上した結果、大阪や神戸の実業家たちが自然豊かで風光明媚な健康地を芦屋市域に求めて邸宅や別荘を建てました。これにより、芦屋が農村・漁村から郊外住宅地へと急激に変貌し、発展していきます。 芦屋の夜にはじめて電灯が!? 阪神電鉄は、明治41年(1908)10月5日から精道村に家庭電灯の供給を開始しました。電灯がつき生活が便利になることによって住宅や別荘の建設が増加し、交通の発達と合わせて芦屋の住宅地化に拍車をかけることとなりました。 明治42年(1909)87灯 → 大正8年(1919)9,666灯へ