(4) 広報あしや 平成30年(2018年)7月1日号 No.1231 特集 阪神大水害80年  昭和13年(1938)に起こった阪神大水害から、今年でちょうど80年。  当時の記録や写真、体験した人のお話から阪神大水害の被害を振り返ります。  芦屋で起こった大災害の教訓を継承しましょう。 問い合わせ 生涯学習課 ☎38-2091 阪神大水害とは  昭和13年7月5日に阪神地方を襲った水害で、阪神間全体で死者・行方不明者数は695人、被害家屋数は119,895戸と甚大な被害を出しました。  その年、阪神地方で6月28日から断続的に降っていた雨は、7月3日の夕方から激しくなり、7月5日午前には1時間当たりの最大雨量が60.8mmを記録する大豪雨となりました。  長雨で地盤が緩んでいた六甲山地では至る所で、がけ崩れが起こり、多量の土砂や流木を含む泥水が下流に流れ込みました。河川は決壊・氾濫、数多くの建物が流失・倒壊、埋没しました。市街地には巨石や流木、土砂が大量に押し寄せ、鉄道や水道などにも大きな被害が生じ、都市機能は完全に麻痺しました。 芦屋市域の被害状況  未曾有の豪雨で芦屋市域(当時は精道村)では、芦屋川・高座川・宮川が一斉に氾濫して、大洪水が起こりました。さらに芦屋川では、上流の山地の崩壊によって膨大な量の土砂が流出し、泥流となって芦屋のまちを襲いました。  精道村の被害は、死者・行方不明者27人、負傷者257人、建物の全壊・流出180戸、半壊890戸、浸水7,180戸など甚大なものでした。  国鉄(現JR)芦屋駅では、土砂堆積は最大3mが記録されています。 谷崎潤一郎が『細雪』で書いた 阪神大水害  文豪・谷崎潤一郎は、代表作『細雪』の中で、阪神大水害の惨状を写実的に書いています。 「五日の明け方からは俄(にわか)に沛然(はいぜん)たる豪雨となっていつ止むとも見えぬ気色であった。(中略)蘆屋川や高座川の上流の方で山崩れがあったらしく、阪急線路の北側の橋のところに押し流されて来た家や、土砂や、岩石や、樹木が、後から後からと山のように積み重なってしまったので、流れが其処で堰き止められて、川の両岸に氾濫したために、堤防の下の道路は濁流が渦を巻いていて、場所に依っては一丈(3.3m)ぐらいの深さに達し、二階から救いを求めている家も沢山あると云う。」 「阪急の蘆屋川駅なども、以前にあったフォームが土砂に埋没したので、土砂の山の上に仮のフォームを設け、橋の上に又高い橋を架けて、そこへ電車を走らせるような工事を始めた。その阪急の橋と、国道の業平橋に至る間は、川床が殆ど両岸の道路の高さに持ち上がってしまって僅かな雨にも氾濫する危険が感じられ、一日も捨てて置けないので、大勢の土工が幾日も幾日も土砂を掘り返していたが、蟻が砂糖の山を崩すようでなかなか埒が明かず、あたら堤防の松を砂煙で汚していた。」 ─ 谷崎潤一郎『細雪』より