(5) 平成30年(2018年)7月1日号 No.1231 広報あしや 阪神大水害の記憶を語る 水かさが橋の上まで増え、欄干が取り除かれた業平橋 宇賀 文夫さん(宮塚町在住) 当時 小学2年生  その日は、精道小学校に登校すると、危ないので家の人が迎えに来たら帰るように言われました。私の家は、業平橋の東側、阪神国道(現在の国道2号)沿いにあったのですが、家に帰って少しすると業平橋から阪神国道へ芦屋川の水が流れ出してきました。私の家も床下に水が流れていました。流木が業平橋に引っ掛かり水をせき止めた結果、水かさが橋の上まで増えてきて欄干にも流木が引っ掛かるので、欄干が取り除かれました。業平橋の両岸に土のうが積み上げられて、水が溢れるのがおさまりました。そのうちに、開森橋東詰付近が決壊し水が流れ出したため、そこより下流の水量は減り、業平橋からの溢れは少なくなりました。  水害がおさまってから外を歩くと、省線(現在のJR線)は水に浸かっていました。そこに浮いている犬小屋の上に犬がいて、かわいそうだったことを良く覚えています。松ノ内町付近では、家が埋まってしまって、人が2階から出入りしているのを見ました。 宮川小学校は水に浸かり、土砂が堆積していました 田島 滋さん(宮川町在住) 当時 小学6年生  当時も宮川町に住んでいましたが、当日、宮川小学校は「危ないから学校に来るに及ばず」ということでしたので、登校せずに家にいました。7月5日は、ほとんど雨は降っておらず、その前の4~5日の間に滝のような雨が降り続いていたと思います。  そのうちに芦屋川から溢れてきた水が家の床下を流れました。家の西側の南北道路は、川のように水がどんどん流れていました。家の2階の窓から増水した宮川を見ていて、「溢れるなあ」と思っていたら、西岸側に水が流れ出しました。  水害後、川のようだった南北道路は自分の背丈より深くえぐれており、側溝が完全に浮いていました。当時は、現在の県立芦屋高校の場所にあった宮川小学校も水に浸かり、校庭にはたくさんの土砂が堆積していました。  小学校はそのまま夏休みになり、2学期が始まるまでには土砂が取り除かれていました。阪急芦屋川駅に仮の駅ができていたことを覚えています。 市内に今も残る阪神大水害の痕跡 谷崎潤一郎記念館にある       阪神大水害の巨石  谷崎潤一郎記念館の門のそばにある巨石は、阪神大水害以前に谷崎が住んでいた神戸市東灘区岡本にあった邸宅内に山津波で流されてきたものです。  巨石の大きさは2m以上あり、重さは約15tと推定されます。  阪神大水害50年にあたる昭和63年(1988)に旧邸の所有者のご厚意によりここに移されました。 東岸と西岸で異なる芦屋川の石垣  芦屋川の開森橋から月若橋の間で、芦屋川の両岸の石垣をよく見ると、東岸側が切石で、西岸側が自然石を積み上げて築かれていることがわかります。その理由は、堤防の損壊が大きかった東岸側だけが石垣を積み替えられ、被害の少なかった西岸側は水害以前の石垣(昭和4~5年築)がそのまま残っているからです。 初代桜橋の橋脚跡  初代の桜橋は阪神大水害によって損壊しましたが、現在、その橋脚の下部だけが川底に残っています。市内には、阪神大水害の痕跡はほとんど残っておらず、大変貴重な災害遺構と言えます。 阪神大水害の体験談や資料をお寄せください  阪神大水害の経験や記憶を風化させず次世代へつなぐために、阪神大水害の体験談や写真・文書・痕跡の情報を集めています。  ぜひ、当時の体験談などの情報をお寄せください。 【情報提供先】 阪神大水害80年行事実行委員会事務局 (☎・[ファクス]0120-123-464/   [メール]rokkosabo@lion.ocn.ne.jp) または下記へ 問い合わせ 防災安全課 ☎38-2093 美術博物館 「阪神大水害80年」関連展示 ■日 時 7月1日~9月9日・ 午前10時~午後5時   (入館は午後4時30分まで) ■休館日 月曜日※7月16日(月・祝)は開館、17日(火)は休館 ■内 容 阪神大水害80年を機に大水害の記録誌や絵はがき等の関連資料を展示。また、貴重な当時の阪神大水害の映像  を上映します。 ■観覧料 一般800円・大高生600円・中学生以下無料  (特別展『チャペック兄弟と子どもの世界』同時開催)  団体料金あり。高齢者(65歳以上)および身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳・療育手帳をお持ちの人とその介護の人は半額 7月22日(日)8月15日(水)は観覧料無料の日 問い合わせ 美術博物館 ☎38-5432/[ファクス] 38-5434(〒659-0052 伊勢町12-25) ■寄付:6月30日までの受け入れ分【芦屋病院取り扱い分】 金 20,000円、国際ソロプチミスト芦屋会長 横田勝子