02-03 特 集 特集 語り継ぐ平和への想い 8月15日 今年も忘れてはいけない終戦記念日がやってきます。 死に直面した戦争被災者の体験談や、市内の中学生が平和学習で学んだ さまざまなことに触れ、平和とは何か考えるきっかけにしませんか。 問い合わせ 人権・男女共生課 ☎38-2055 私の戦争体験 美野 欣三郎さん 中学生の時に神戸市で経験した戦争体験を語っていただきました。 美野さんは現在、芦屋市シルバー人材センターで戦争体験を伝える活動をしています。 教師の分厚い胸 私が戦争を体験したのは中学1年生くらいのときです。当時、私は神戸市兵庫区に住んでおり、勤労学徒として西明石の航空機製作所で従事していました。 その日、警戒警報が鳴ったので防空壕へ避難していたところ、そばの池に1トン爆弾が落ちました。1トン爆弾とは、市役所の半分くらいの穴が開く、相当な威力を持つ爆弾です。そのような爆弾が落ちる寸前、一番外側にいた私の背中を誰かが抱きしめてくれました。先生でした。怖く、生徒皆から恐れられている先生でしたが、とても生徒思いの優しい先生でもありました。その先生の温かくて分厚い胸が背中で感じられ、こんな先生がおられるのだと感激しました。 幸い、全員無事に工場へ帰れましたが、工場は集中的に爆撃され壊滅状態です。南の方を見ると、普段は建屋で見えない淡路島が手に取るように見えました。 父の炊いたごはん 終戦の年の3月17日夜に神戸大空襲があり、B29が黄燐焼夷爆弾を矢のように降らせました。その時、父から「わしは家で死んでもいいからお前たちは逃げろ!」と言われ、母と私は2人で山に向かって逃げました。川に架かる1本橋に群衆が詰めかけ、橋を渡ろうとひしめいています。今、焼夷弾が落とされたら死ぬなと思ったとき、2個の爆弾が視界の端ではじけました。布団をかぶり、母を抱き寄せ土手にしゃがみ込みました。しばらくして、火のついた布団をはねのけ、あたりを見渡すと20~30人の死者やけが人がうずくまる悲惨な状態でした。 ふと足元に目を落とすと、50㎝先の地面に大きな酒瓶くらいの穴が開いて、そこから紫煙が上っています。不発弾です。「助かった!」と思いましたね。 山まで母を連れて逃げ、振り返ると空は真っ赤に染まり、町中が燃えています。その火を見ながら足がガクガク震え、止まりませんでした。母を残し山を下ると、自宅の一角だけがわずかに焼け残っていました。「バンザーイ!」思わず叫び、家に飛び込むと、薄煙が立つ中、父親がポツンと一人座っています。「おい、飯が炊けとるぞ!」父が私に言いました。母と家に戻り、焼け出された友達家族と握り飯をほおばりながら生き延びたことを喜び合いました。 飯を炊いて、逃げた家族を一人家で待っている父親の沈着さを、私はとても誇らしく思いました。この時の気持ちがあったので、阪神淡路大震災で罹災したときにも、つぶれた家の中でご飯を探し当て、妻と二人で食べ落ち着きを取り戻しました。戦争中に父がとった行動を知らず知らずのうちに行っていたんです。 威厳のある町内会長が… 6月15日に再び神戸で空襲がありました。警戒警報が鳴っているなか、町内会長から警備の位置につくように指示されました。所定の区域で見張っていると、南の方から油脂爆弾が落とされるのが見えました。爆弾が至近距離に落ちると、私と友達は焼け残った他人の家に逃げ込みました。爆撃が過ぎしばらくすると、町内会長の家が燃えているからと消火活動を手伝いました。バケツリレーで水をかけましたが、3時間くらいで家は灰になってしまいました。普段は威厳のある立派な町内会長でしたが、焼け落ちた自分の家をみて呆然としゃがみ込む姿が印象的でした。次の日、この空襲で近所の50数世帯の内、26人が焼死したと聞かされました。 つながる命 この3回の死と直面した体験を孫2人に話して聞かせたところ、2人とも身じろぎもせずじっと聞き入っていました。その時、もしもあの時死んでいたら、こうやって息子や孫の顔を見ることはなかっただろうという思いが頭に駆け巡りました。幸運にも生き延びたここと、繋がっていく命に感慨を深めました。それと同時にこの経験を伝えていかないといけないと考えました。 今の平和は日本人の力 日本は大きな戦争を経験しましたが、今こうして平和が維持できているのは日本人の力だと思います。この平和を次の世代に繋いでいくには2つのことが大事だと思います。1つは、歴史をよく勉強すること。それからもう1つは、我慢をすることです。 国の政治は、世界の歴史と繋がっています。それを学べばおのずととるべき行動が決まります。国益を損ねることがあっても我慢して戦争にならないように努めるべきだと思います。 たゆまぬ平和への歩み展 ■日時 8月31日(木)まで ■場所 市役所北館1階展示コーナー 原爆死没者慰霊 黙とうのお願い 広島・長崎では、原爆死没者の慰霊と平和祈念の、黙とうがささげられます。皆さんも、1分間の黙とうにご協力をお願いします。 広島原爆忌 8月6日 午前8時15分 長崎原爆忌 8月9日 午前11時2分 問い合わせ 人権・男女共生課 ☎38-2055 中学生たちの取り組み 市立中学校では毎年平和学習を行い、戦争の悲惨さや平和の大切さを学んでいます。今回はそれぞれの学校の取り組みをご紹介します。 「難民支援と私たちにできること」について考える 潮見中学校 安達謙人さん・原口雄匡さん 潮見中学校では国連UNHCR協会の芳島さんを講師としてお招きし、講演会を実施しました。参加していた2人が感じた戦争と平和について語っていただきました。 安達:講演会での「難民になりたくてなっている難民などいない」という言葉が印象的でした。 また、世界には1億1千万人もの難民がいることに驚きました。世界では様々な人種や民族、宗教観があって意見の違いから紛争が起きる。武力ではなく言葉での「対話」の方が平和的だと思います。 平和な暮らしを守って行くためには「自分の周りの人への感謝」はとても大切。お礼や挨拶、感謝の言葉の積み重ねがコミュニケーションになり、争いを減らす一つの方法なのかなと思います。平和な日本から自分たちができることは、他の国を「支えてあげる」「寄り添ってあげる」ことだと思います。 毎年8月には戦争や平和について放送されますが、深く考えたり調べたりする機会になると思います。日本の過去の負の歴史をしっかりと知り、自分の力で情報を得ることが重要だと思います。 原口:「難民の人たちは普通の人たちです」という言葉が印象的でした。日本の当たり前が実は特別であることを理解し、きれいな水や食べ物に「感謝」することが大切だと思いました。 自分たちが住んでいる芦屋は戦争によってどんな被害を受けたのか、原爆や沖縄戦、現在にいたるウクライナ、ロシアの戦争など、沢山の事を学習してきました。当たり前ですが平和な世界は絶対に一番だと思います。戦争がひとつでもなくなる方向に世界がなればいいなと思います。 戦争の悲惨さを肌で、全身で感じた「大和ミュージアム」 精道中学校 栗林佑宇さん 精道中学校では、修学旅行を「平和学習」として広島県呉市の「大和ミュージアム」と呉市内の散策へ行きました。 大和ミュージアムでは、広島の原爆被害や戦時中の生活、使用された兵器や戦艦大和の模型などを見たりして学びました。特に印象的だったのは、たくさんの戦死者の名前が刻まれた壁を見たことです。実際に壁に刻まれた名前を見て、こんなにも多くの人が亡くなったことを実感しました。戦争の悲惨さを肌で、全身で感じました。 10分の1に縮小された戦艦大和の模型でしたが、とてつもなく大きく、戦争のスケールや被害の大きさを感じました。呉市内で大和の造船ドックを見学し、高い技術力に感動しましたが、それが戦争に使われるのは悲しいことだなと思いました。 現在の平和な生活を守るために大切なことは、戦争の悲惨さと平和の大切さを自分自身で知ることが一番大切だと思います。大和ミュージアムなどを訪れるなど自分でアクションを起こし、情報を得ることや過去を振り返ることが大切です。次に、知るだけで終わらせず、常に平和の大切さを身近に感じることが重要です。友達や家族と「平和は大切だよね」という話を日頃からしていく。平和や戦争は大きなテーマですが、それを避けずにしっかり話し合い、身近に感じることが大切かなと思います。 戦争をしない世界ではなく、させない世界へ 山手中学校 修学旅行実行委員の皆さん 山手中学校では修学旅行で「平和学習」として 長崎平和公園・原爆資料館へ行きました。 事前学習として、被爆を体験された方の講演を聴いて当時の様子や原爆の威力のほか放射線が人におよぼす影響などについても学びました。 さらに、戦争とはどんなことか、なぜ起こったのか、戦争が及ぼした人や街への影響も班員で分担して調べ、それを交流会で話し合い、改めて戦争の恐ろしさを学びました。 長崎の原爆資料館で見たラムネびんは、原形をとどめないほどに変形しており、その変わり果てた姿を見た瞬間、恐ろしさを感じました。そして近年でも核実験が行われていることを知って驚きました。 平和祈念像の力強さも印象的でした。その大きさと迫力から心に響くものがあり、ひとつひとつの動きに強い気持ちが込められていることを知りました。 今ある平和な暮らしを守って行くためには、一人ひとりが異なる存在であることを認め合い、納得がいかないことがあってもすぐに争わずに、一歩踏みとどまることが大切だと思います。また、戦争の恐ろしさを知り、平和の尊さを世界中の人々に広めることです。戦争をしない世界ではなく、戦争をさせない世界にすることが大切だと思います。 今回の修学旅行では、長崎市立西泊中学校とも交流を行いました。普段の生活を当たり前と思わず、感謝の気持ちを持ちながらつながりを大切に生きることが大事だと感じました。