(4)(5) 広報あしや 平成31年(2019年)1月1日号 No.1243 広報あしや 新春スペシャルインタビュー 佐渡 裕 Yutaka Sado 小澤征爾やバーンスタインにしか見えない光、当たっていない風、感じている空気。 自分も「その世界を感じてみたい」と真剣に思った瞬間です。 問い合わせ 広報国際交流課 ☎38-2006  1月12日(土)芦屋市民センター(ルナ・ホール)で開催される佐渡裕「トーク&コンサート」。昨年11月に発売されたチケットは、わずか3時間で完売。世界的指揮者佐渡氏の絶大な人気をうかがわせる。身長186センチの大きな体から発せられる低音で張りのある声と、時折浮かべる屈託のない笑顔が印象的な佐渡氏に、お話をうかがいました。 ルナ・ホールで指揮をするのは、35年ぶりくらいですね。 過去に芦屋市民センター(ルナ・ホール)で指揮をされたことはありますか──  ありますよ。芦屋交響楽団でハイドンの「時計」を演奏した記憶があります。23歳のころから3年ほど芦屋交響楽団を、熱心に指導した時期がありましたから。当時は芦屋市商工会館2階の会議室で練習していましたね。あと、他の楽団の指揮などで3回くらいあります。今回ルナ・ホールで指揮をするのは、35年ぶりくらいになりますね。  私も芦屋に住んでいますので、以前からこのまちに何かしたい思いがありました。今回、スーパーキッズ・オーケストラでのコンサートのお話しをいただいて、喜んでお受けしました。同じ日に山手小学校で、児童と山手町にお住いの親子の皆さんに音楽の授業もする予定です。 日本の子どもたちの弦楽器を演奏するレベルは非常に高い。 世界でもトップレベルです。 テレビなどでもよく取り上げられるスーパーキッズ・オーケストラとは──  スーパーキッズ・オーケストラは、私が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターのソフト先行事業として2003年に設立しました。全国から厳しいオーディションを勝ち抜いたトップクラスの演奏技術を持つ子供たちを集めたオーケストラです。日本の子どもたちの弦楽器を演奏するレベルは非常に高い。世界でもトップレベルです。そんな子どもたちだけのオーケストラを作ることで、私自身も次の新しい世代と繋がることができる。兵庫県立芸術文化センターがシンフォニーやオペラを演奏するだけの劇場ではなく、それ以外の意味があることを表現したかったんです。スーパーキッズ・オーケストラの初めての演奏は明石市民会館でバッハの「G線上のアリア」でした。当時、明石市の商工会議所から私へ1通の手紙が届きました。「明石市の花火大会で子供たちが亡くなった事故が起きてから1年。子どもたちの遺族や周りの子どもたちに何かを届けたい、そのために佐渡さんの力を貸してほしい」と非常に心のこもった内容でした。その思いを受けスーパーキッズ・オーケストラが、少しでも皆さんに元気を届けることができればと思い演奏しました。 小澤征爾氏がいなければ指揮者になりたいとは思わなかったでしょうね。 オーケストラの指揮者になったきっかけは──  小澤征爾氏がいなければ指揮者になりたいとは思わなかったでしょうね。そして、レナード・バーンスタイン氏との出会い。26歳の時に、この2人が監督を務めるタングルウッド音楽祭の試験に受かり、私の人生は180度変わりました。小澤氏やバーンスタイン氏にしか見えない光、当たっていない風、感じている空気があることを知り、自分もその世界を感じてみたいと真剣に思った瞬間です。  小学校の卒業文集に「大人になったら、ベルリン・フィルの指揮者になりたい」と書きましたが、その時は何か大きなことを書きたい程度のことでした。高校・大学と音楽専門の道に進み、自分の中で「指揮者になりたい」気持ちが募っていきました。当時、周囲の人たちに「指揮者になろうと思う」と伝えると、「やめとけ、やめとけ」と皆に止められましたね。そりゃそうですよね、私も周囲の人もプロの指揮者にどうすればなれるのか分かりませんでしたから。 26歳でタングルウッド音楽祭に受かってアメリカに行くまでは、どんなことをしていましたか──  大学3回生の時「指揮をすることでお金をもらって生きていこう」と決意し、ママさんコーラスの指導を1回3,000円からはじめました。昼間は大学の吹奏楽部やママさんコーラスを教え、夕方からオーケストラを稽古し、夜はカラオケの録音作業もしていました。高音用・中音用・低音用の3種類を録音しないといけないアナログの時代でしたから夜中の1時ぐらいまでやっていましたよ。  20歳からの6年間、ありがたいことに色んな所から仕事をいただきましたが、小学校の卒業文集に書いた「ベルリン・フィルの指揮」なんて当時は宇宙に行くみたいな夢の話でした。稽古の合間の休憩中にふと「俺はこのまま音楽の道を続けて幸せになれるのかな」って頭をよぎることもありました。長い稽古が昼から夜まであって、その間に晩飯を食べたら、それで赤字でしたからね(笑)。でも、「佐渡さんの指揮で音楽を作るのが楽しい」この時期に出会った皆さんの声が、私に力を与え、26歳でアメリカに行きその後の指揮者としての私の背中を押してくれたと思います。 芦屋は、高級住宅地のイメージしかなかったですが、実際に住んでみるとすごく住みやすいまちですね。 芦屋のイメージを教えてください──  例えばJR駅付近のスーパーや食べ物屋さんを見てもそうですが、何をするにも芦屋の街の中ですべてが完結できる。  私はゴルフが好きなので、車ですぐに芦屋カンツリー倶楽部(ゴルフ場)に行ける。芦有を使えば有馬温泉も近い。飲食店が美味しいのは当然ですが、値段設定も絶妙です。芦屋の女性たちは、意外にシビアですから高すぎても行かないし、安いだけでも行かない。女性心をくすぐるちょうど良い店だけがある、それが芦屋らしいなと思います。 小学生の時に何か大きなことをイメージして夢を持つことは、とても大切なことです。 芦屋の子どもたちへメッセージをお願いします─  小学生の時に何か大きなことをイメージして夢を持つことは、とても大切なことです。私の夢「ベルリン・フィルで指揮をとる」は50歳で叶いました。私の尊敬する人がよく口にしていた言葉に「夢を叶えるためには努力・才能・運が必要で、これらは足し算される。そこに『ありがとう』と思える感謝力が加わる。感謝力は掛け算になる。感謝力が1.5倍ある人は、自分の持っている努力・才能・運すべてが1.5倍になる。」これが夢を叶える一つの方程式のような気がします。  すごくしんどくて、とても「ありがとう」なんて言える状況ではない時に、泣きながら叫ぶように「ありがとう」と言ってみたことがあります。そうすると言葉には不思議な力があって、ポジティブな気持ちを与えてくれる。そのことが自分自身を救う。スランプを脱出する一つの方法だと思いますね。  小学生の皆さんは、ものすごくいっぱい可能性を持っている。自分で「これだ!」と思うもの「天職」を探してください。天職は人それぞれです。家庭を守ること、モノ書きになること、舞台で表現すること、病院で人の健康を守ること。地位とか名誉とか関係なく、これが自分が天から授かったものだと感じ、それで報酬をもらって生きていける。こんな幸せなことはありません。ぜひ天職を見つけてください。 佐渡 裕 Yutaka Sado プロフィール 京都市立芸術大学卒業。故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。1989年新進指揮者の登竜門として権威ある「ブザンソン指揮者コンクール」で優勝。1995年「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」優勝。“レナード・バーンスタイン桂冠指揮者”の称号を授与される。 2015年9月より、オーストリアを代表し100年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任し、欧州の拠点をウィーンに置いて活動している。国内では「サントリー1万人の第九コンサート」を1999年以降毎年指揮し、兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者を務める。芦屋市在住。 ■あしやトライあんぐる放送時間 新春特集:平成の芦屋 ①午前9時②正午③午後3時④午後6時⑤午後10時〈15分〉  [問い合わせ]広報国際交流課 ☎38-2006