(4) 広報あしや 令和元年(2019年)6月15日号 No.1254 精道村 発足から 130年 今年は、芦屋市の前身である精道村が発足してから、ちょうど130年目にあたります。 精道村は、明治22年(1889)に芦屋村・打出村・三条村・津知村の四か村が合併して誕生し、昭和15年(1940)に芦屋市に昇格しました。精道村であった51年間に、芦屋は農村・漁村から大阪・神戸の郊外住宅地へと目覚ましい発展を遂げました。 「精道村発足130周年記念事業」の一環として市民から提供いただいた戦前の芦屋の写真も紹介しながら、精道村について振り返ってみたいと思います。 問い合わせ 生涯学習課 ☎38-2115 精道村から芦屋市誕生 までの略年表 明治19年 1886年 精道小学校 開校 明治22年 1889年 4月1日、精道村発足(芦屋・打出・三条・津知の四か村が合併) 明治38年 1905年 阪神電鉄 開通(芦屋駅・打出駅 開設) 明治40年 1907年 芦屋遊園地 一部開園 明治41年 1908年 精道村で電灯の供給開始 大正元年 1912年 芦屋郵便局設置          精道村でガスの供給開始 大正2年 1913年 国鉄芦屋駅(現在のJR芦屋駅) 開設 大正3年 1914年 芦屋郵便局による電話交換事務開始 大正6年 1917年 土地耕地整理事業 開始(~昭和14年) 大正9年 1920年 阪神急行電鉄神戸線 開通          (芦屋川駅 開設) 大正11年 1922年 精道村章 制定 大正12年 1923年 精道村役場 竣工 昭和2年 1927年 阪神国道(現在の国道2号)・阪神国道電車 開通 昭和4年 1929年 株式会社六麓荘が六麓荘住宅地を開発(~昭和6年) 昭和9年 1934年 9月21日、室戸台風水害 昭和13年 1938年 村営上水道が完成し供給開始。          7月5日、阪神大水害 昭和15年 1940年 11月10日、芦屋市制施行 村名の由来は精道小学校 芦屋・打出・三条・津知の四か村が合併するにあたって、村名がなかなか決まらず、当時すでにあった精道小学校の校名から名づけられることとなりました。 精道小学校は、明治19年(1886)の小学校令の制定に伴い芦屋小学校が改称したもので、「精道」の校名は西宮の漢学者・豊田政苗が「養精修道」の語から撰したといわれています。 阪神芦屋駅・打出駅の開設と 郊外住宅地への発展 芦屋市域で最初の駅は明治38年(1905)に阪神電鉄の開通に伴い設けられた阪神芦屋駅と打出駅です。その後、国鉄芦屋駅(大正2年〔1913〕)、阪急芦屋川駅(大正9年〔1920〕)と開設が続きます。これら鉄道の発達を背景として、精道村は大阪・神戸の郊外住宅地として目覚ましい発展を遂げました。 芦屋浜で盛んだった イワシ地引網漁 芦屋浜では、江戸時代以降、イワシの地引網漁を中心に漁業が盛んに行われていました。精道村が発足した明治22年(1889)以降も、しばらくは農村・漁村でしたが、明治38年(1905)の阪神電鉄の開通以降、鉄道の発達を背景に大阪・神戸の郊外住宅地へと急激に変貌しました。 潮見(汐見)桜 初代の潮見桜は、在原業平が西山町付近にあった塩通山法恩寺の境内に植えたと伝えられており、その3代目は明治6年(1873)、開森橋の西詰に芦屋小学校を新築する際、校庭に植えられた2本の枝垂れ桜が良く成長して、芦屋の名木として広く知られるようになりました。 花の見ごろには村外からも見物客が訪れるほど有名でしたが、昭和5年(1930)頃に枯れてしまいました。 ■あしやトライあんぐる放送時間 特集:芦屋の歴史を学ぼう 三条文化財整理事務所 ①午前9時②正午③午後3時④午後6時⑤午後10時〈15分〉  葵広報国際交流課 ☎38-2006