02-03 特 集 1 新春スペシャルインタビュー 俳人 稲畑汀子 Teiko Inahata 昨年、俳句の礎を築いたことが評価され「県勢高揚功労」を受賞した俳人 稲畑汀子さん。 ひと月に何万もの選句(寄せられた俳句の中から、優れたものを選ぶ)を行い全国各地の俳句会を飛び回る忙しい毎日を過ごしている稲畑さんに自身の俳句も交えて、いろいろなお話しを伺いました。  稲畑さん曰く「俳句とは季題(季節を表す言葉)によって生まれる詩。季題を通して自然を謳い、生活を詠む。日本語を一番快い響きで伝える五・七・五の17文字で表現する。俳句は、日本語を大切にしようと思う気持ちさえあれば、誰でも簡単に作れます。私たちは自然の中で生活し、その中から生まれてくるのが俳句ですから。」 震災に 耐えし芦屋の         松涼し  1月17日。毎年、多くの皆さんが芦屋公園に訪れ手を合わせる『阪神・淡路大震災慰霊と復興のモニュメント』には俳句が刻まれている。これは震災があった年の夏に稲畑さんが作った俳句。  「その日は寝室で寝ていましたが、突然もの凄く揺れてなかなか収まらない。家の中はメチャクチャになり、外はまだ真っ暗。市内の様子を見に行ったら、あちらこちらで家が倒れ、道路には段差も出来ている。これは大変なことになったと驚き、自然の計り知れない脅威を実感しました。モニュメントの俳句は、芦屋川ロータリークラブさんから依頼を頂いて作った句。詠んだのは夏、芦屋公園の松は厳然と並んでいるけれど、この松林も震災を耐えたのだと改めて眺めると、感慨深く思いましてね。たくさんの人が亡くなり家屋は倒壊し、街は大変な被害を受けた。でも松並木は地震に耐え、凛と立っている。その松の姿と懸命に復興へと立ち向かう市民の皆さんの姿を重ねて作った句です。震災のあった翌年の成人式に教育委員として参加させてもらいました。二十歳を迎える皆さんがもの凄く立派な姿勢で成人式に参加されていてね。成人式といえば、報道で二十歳のまだ幼い部分が取り上げられるでしょ。でも地震で大変な経験した子供たちは違っていましたね、感心しましたよ。」 目に慣れし 花の明るさ       つづきをり  阪急芦屋川駅すぐ南の月若公園内にある高浜虚子三代句碑。この公園付近には、稲畑さんが幼少期に住んでいた父・高浜年尾さんの家があり、祖父・高浜虚子「ホトトギス」のゆかりの地。この碑には親子3代が作った句が刻まれている。この句は、芦屋川沿いを満開の桜が眩しいほどに美しく咲き誇っている風景を謳った俳句。  「俳句で『花』といえば、サクラを表します。他の花なら○○の花と表現しなければいけない。この句を作った時の芦屋川の桜は本当に綺麗でしたよ。満開に咲き誇ったサクラがずらりと並び、明るいピンク色の花びらはパーッと眼が眩むほどの美しさでしたね。日本でサクラと言えばすぐに散ってしまう儚い象徴でしょ。でも、海外に行けば国によって季節の捉え方も違って面白いですよ。例えば、ロンドンで俳句の講演をした時『桜は咲いてすぐ散るから儚くて美しい』と言ったら『ロンドンでは1カ月くらい咲きますから、儚いとは思いませんよ』って言われ『えっ!』と驚かされましたね(笑)。 咲く花々も、場所によって違うものだと勉強になりました。俳句を通して、いろいろな国に行かせていただき、たくさんの経験を積んできました。それぞれの国で言葉・文化・環境は違っても、違わない部分での付き合いがある。ですから会話はとても大切。会話の中から俳句は生まれ、俳句を通して人との付き合いが沢山できましたからね。」 その未明 我が家も焼けぬ          原爆忌  戦争を経験した稲畑さん。最近の世界情勢などを観ていると、また戦争が起きる時代が来るのではないかと危惧されている。この句は戦時中に住んでいた芦屋の自宅が焼夷弾で焼け、街の惨たんたる状態を目の当たりにしたときに作った俳句。  「私は戦争を経験した者として『戦争は絶対にしてはいけない』と思っています。戦争を知らない世代になり、これからまた戦争をする時代が来ないか心配をしています。みんな幸せに平和に過ごしてほしい。広島に原爆が落ちた朝の未明、芦屋にもB29が飛んできて焼夷弾をいっぱい落としていった。月若町の私の自宅も全焼しました。目の前に焼夷弾が落ちてきたことは、未だに鮮明に覚えています。でも、その時は逃げることに必死で、不思議と怖い気持ちは湧きませんでした。『一緒に逃げよう』と妹と弟の手をひいて、芦屋川にあった暗所へ逃げ込みました。後世へ戦争の悲惨さを伝えるためにも残しておかなければいけないと思い作りました。」 今日何も 彼もなにもかも         春らしく  これまで稲畑さんが作った数多くの俳句の中から、一番心に残っている句をききました。  「18歳の頃だったかしら。春の暖かい日に外に出ていて、気持ちがいいなぁと思っていたら浮かんできて。すぐに、はがきに書いて祖父・高浜虚子が選者を務める朝日俳壇へ投句すると入選してね。この句を見ると、若かりし頃になんでもない日常を詠んだその時の記憶がぜんぶ蘇るの。だからこの句が一番好き。私は俳句を作ることによって、人生を生きてきました。いい思い出がある時はいい句ができ、辛い時には辛い句ができる。その時の心の状態で、俳句は残されていく。句を読み返せばその時のことが蘇ってくるのです。」 幸せな 命守りて     去年今年  インタビューの最後に、新年を迎えるにあたって稲畑さんへ一句お願いしてみました。 「そんな急に言われても、前もって言ってちょうだいよ」(笑)と叱られつつも、すこし沈黙のあと手帳にさらさらと綴り優しい笑顔と共に頂いた俳句。  「俳句は短い詩でしょ。完全に説明ができないから、受け取る人によっても捉え方が変わる。去年今年はお正月の季題。幸せは人それぞれ、置かれている状況や境遇により、感じ方は異なりますが大切な命。生きていることに感謝して、自分の感じ方次第でみんな幸せになります。年のはじめに幸せな俳句を見ると気持ちがいいでしょう。私は昭和10年に鎌倉から引っ越してきてからずっと芦屋の住人です。芦屋は風光明媚で北に六甲山、南に大阪湾のすばらしい環境。春夏秋冬の移りゆく姿のなかで俳句を作っていると、ここは本当に素晴らしい所だと思います。ここで命の最後までいられたらいいなと思いますね。皆さんも、楽しんで俳句を作ってみてください。芦屋は俳句を作るのにぴったりな場所です。毎月第1土曜日には、ラポルテホールで俳句会※を開催しています。俳句が好きな人なら誰でもウェルカムですよ。」(笑) ※俳句会(芦屋ホトトギス会)についての詳細は虚子記念文学館へ 稲畑汀子(いなはた・ていこ) 俳人。1931年生まれ。幼少のころから祖父・高浜虚子と父・年尾のもとで俳句を学ぶ。 幼少期に芦屋へ移り住み、1956年24歳で稲畑順三氏と結婚、現在も平田町に住む。1979年日本最大の俳句結社「ホトトギス」主宰継承。2013年主宰を息子・稲畑廣太郎氏に引き継ぎ名誉主催に就任。 1992年~1996年芦屋市教育委員・委員長を務める。2000年「虚子記念文学館」を開館し理事長に就任。昨年2月に兵庫県知事感謝状・3月に日本放送協会放送文化賞・5月には県勢高揚功労を受賞。 虚子記念文学館 平成12年稲畑汀子さんが平田町に開館。俳人・高浜虚子の資料、俳句作品や著書などのほか、正岡子規や夏目漱石ら文人との交流を示す書簡も所蔵し、虚子と俳句に関する常設展示や企画展示を開催しています。 ■開館時間  午前10時~午後5時 (入館は午後4時30分まで) ■休館日 月曜日・祝日・替休日の翌日・年末年始 ■入場料 一般500円/18歳以下300円/団体(一般20人以上)400円      各種障がい者手帳をお持ちの人と付き添いの人250円 問い合わせ 虚子記念文学館 ☎21-1036(〒659-0074 平田町8-22 )