02-03 特集 国際文化 住宅都市・芦屋 70年のあゆみ 今年は「芦屋国際文化住宅都市建設法」が制定されて70周年です。 昭和20年代のまだまだ戦後の復興が続く最中に先人たちが未来に思い描く芦屋がそこにありました。 「国際文化住宅都市」 芦屋の誕生  昭和26年3月3日、芦屋市のための特別法である「芦屋国際文化住宅都市建設法」が公布されました。この公布が、これから芦屋市が「国際文化住宅都市を目指し発展していくぞ!」と全国へ向けてメッセージを発信したはじまりになります。  空襲でまちの約4割が焼失した芦屋市。復興には多額の費用が必要で、慢性的な財政難に陥っていました。そのような状況のなか国の力も借りながら、いち早く復興し、優れた住宅都市としてのまちづくりを進められるように出来たのがこの特別法です。第1条にはこのようなことが書かれています。 「住宅地として恵まれた環境と優れた立地条件を備えている芦屋市が、国際文化住宅都市として外国人の居住にも適するように建設し、外客(外国の人)の誘致と定住を図り、国際文化の向上と経済復興を目的としている」  海外にも誇れる素敵なまちを作ろうとする決意が表れています。ちなみに、このような特別法が制定されている都市は、芦屋市を含め全国で14市しかありません。 「Let’s!住民投票」のお話  昭和25年、芦屋市が市制10周年を迎えた年の12月に芦屋国際文化住宅都市建設法案は第9回臨時国会において可決されます。  しかし、この法律は芦屋市にのみ適用される特別法であるため、成立には国会での承認のほかに、市民の賛否投票(住民投票)で過半数の賛成を得る必要があり、芦屋市は昭和26年2月11日(日)に住民投票を行うことになります。 当時の新聞にその時の様子が書かれています。 -きょう住民投票 芦屋 棄権防止に躍起- 市では投票が始まる朝7時から市役所と打出公会堂のサイレンを1時間おきに鳴らして投票場への関心を高め、中・小学生たちは総出で“ぜひ一票”のメガホン運動をし、ボーイスカウト、仲良し子供会員は“棄権はいけません”と呼びかけた。 (朝日新聞 昭和26年2月11日抜粋)  芦屋市から市民へ必死に投票を呼びかけた様子がうかがえます。また、投票前日の新聞には、詩人富田砕花氏のコメントも掲載されています。 -“よく考えての一票”富田砕花氏は語る- 賛成、反対のマイクとビラが入り乱れ、市民は“どちらが正しいか”戸惑っているのが実情。良いことずくめの宣伝は真面目さを欠いているようだ。「この法律にすがらねばどうにもならない」という率直な嘆きを訴えたほうがよくないか。有権者はいろんな宣伝や勧誘にひかれることなく、冷静に判断し投票したいものだ。 (朝日新聞 昭和26年2月10日抜粋)  住民投票の結果は、賛成77.6%(賛成10,288、反対2,949、無効163:住民投票率56%)と賛成多数で「芦屋国際文化住宅都市建設法」は成立。 その夜、猿丸市長(当時の芦屋市長)は芦屋市の将来の方針と抱負について語っています。 成立したうえは法案の精神を生かすために全市民力を合わせて理想郷を作るよう努力したい。20年後の芦屋市がどんな形になるか今から楽しみだ。 (神戸新聞 昭和26年2月12日抜粋) 法案成立の喜びと、これから芦屋を世界に誇れる住宅都市にするという、意気込みが伝わってきます。 「プロ野球オープン戦」 プレイボール!  「芦屋国際文化住宅都市建設法」の制定を記念して昭和26年3月には、なんと芦屋市でプロ野球のオープン戦が開催されました。  阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)VS東急フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)」の試合は、現在はマンションなどになっている、芦屋浜・神戸銀行大グラウンド(松浜町14番)で行われました。当時の日刊スポーツニッポンに試合の様子が載っています。 制定の記念行事として、芦屋市が主催するプロ野球オープン戦。3千人の観衆の大半は少年ファンであったが、チラリホラリ有閑マダムや愛犬を連れた芦屋令嬢の姿が見えたのは、柔らかな春の色をかもしだして微笑ましい。 (日刊スポーツニッポン 昭和26年3月24日抜粋) 「観光文化の八都市」に描く 芦屋の未来  昭和27年4月15日には、特別都市建設法が制定されている8市(現在は11市)で「国際特別都市建設連盟」を結成。この連盟が昭和28年9月に刊行した『観光文化の八都市』には、未来の芦屋を思い描いた姿が「芦屋市国際文化住宅都市建設計画」として記されています。内容は、芦屋市を緑豊かなまちにしていくための都市公園化(公園緑地)や交通網の整備、上下水道の完備、宅地開発・住宅の建設、図書館・美術館・博物館など社会施設の建設など。そして、最後に力強くこう結ばれています。 もし年月と資材、資金をもって本計画実現の暁には、国内的には地方産業経済、文化に寄与することはもちろん、対外的には近代観光と国際文化、経済の交流の基地として、観光日本の形態上にも裨益※(ひえき)することを信じて疑わない。 ※貢献・役立つ  70年前に誕生した「国際文化住宅都市・芦屋」。その思いを受け継ぎ、充実・発展させ「20年後の芦屋市が楽しみ」と思えるまちを作るため、これからも尽力していかなければならない。 国際文化住宅都市の 暮らしがつくる風景 小浦久子 神戸芸術工科大学環境デザイン学科教授 芦屋市景観アドバイザー  山と海に挟まれた小さなまちで、戦前に緑と明るい光にあふれる郊外住宅地の開発が始まり、阪神間モダニズムと呼ばれる独特の生活文化が生まれた。この豊かな居住地環境が芦屋を特徴づけるイメージとなって、戦後の都市づくりに引き継がれていく。住民投票によって成立した「芦屋国際文化住宅都市建設法」(1951年)は、国際性と文化のあふれる住宅都市を目指すもので、小さいながらも良質の生活環境を守り育てることにより自律した都市の持続可能性を求めていく取り組みといえる。  住宅地の町並みはそこに住む人の暮らしの表現である。緑の豊かさは個々の住まいの庭の豊かさであり、気遣いのある暮らしの作法が落ち着きのある通りの風景となる。そうした生活風景のあり方をみんなで共有し育てていこうと景観への取り組みを始めたときに、阪神・淡路大震災が発生した。多くの記憶の風景を失ったなかで、芦屋らしさを再生するために景観への取り組みを続けてきた。もう一度、「芦屋国際文化住宅都市」は市民が選択した都市のあり方であることを思いおこし、良い環境を消費するのではなく育む風景づくりを、ここに住む人々の日々の積み重ねによりめざしたい。  変化は都市のダイナミズムであり、生活風景も時代とともに変化する。そのとき芦屋にとって持続可能な変化であることが望まれる。コロナ禍で働き方の変化の兆しが顕在化しつつあり、これからは住宅都市の魅力は働く場の選択肢にもなる。戸建て住宅と共同住宅が折り合う環境、流動性の高い暮らしと長く定住してきた暮らしが共存する環境、新しいワーキングスタイルと生活文化を創出する環境など、次世代の住宅都市の良質とは何かが問われている。  全国で14ある戦後復興期の特別都市建設法のなかで、唯一「住宅都市」を目指す都市が芦屋である。量的拡大を追わない質的持続可能性を求める住宅都市であることが、しなやかに未来を拓く。