02-03 特 集 新春スペシャルインタビュー シテ方観世流能楽師 長山 耕三 松ノ内町の一画にある「芦屋能舞台」。一見すると普通の住宅のように見える建物の中に足を踏み入れると、光り輝く檜作りの能舞台が広がります。身体の奥底に届くような伸びのある長山耕三さんの声音が、この能舞台に響き渡ります。平成29年に観世流能楽師として重要無形文化財総合指定保持者の認定を受け、現在は東西の舞台で活躍中。また「能楽子ども教室」を開催するなど普及活動にも積極的に取り組んでいます。昨年の11月にルナ・ホールで21回目を迎えた「芦屋能・狂言鑑賞の会」を成功させた長山さんへ能に関するいろいろなお話しをお伺いしました。 一期一会 第21回「芦屋能・狂言鑑賞の会」では、おかげさまで全席が完売し、多くのお客様の前で演目「国栖(くず)」に挑むことができました。 この演目は、王位継承争いで窮地に陥った若き帝(みかど)が、老夫婦の助けにより王位を継承できる縁起の良いお話しです。昨年から続く新型コロナウイルス感染症の影響で、世の中は何となく暗い雰囲気が漂っています。しかし、皆さんは色々な対策や努力をしながら、この難局を乗り切ろうと頑張っている。この状況が「国栖」のお話しと重なるところがあると感じ、お客様に少しでも元気を届けたいと思い、この演目を選びました。 これまで当たり前のように開催していた公演ですが、ひとたび新型コロナウイルス感染症がまん延すれば、また開催できなくなるかもしれない。ですから開催できることに感謝し、一期一会の気持ちで一番一番を今まで以上に丁寧に演じていきたいと思っています。 能楽師のはじまり およそ120年前、曾祖父の長山青峰(ながやませいほう)から能楽(観世流(かんぜりゅう))の道が始まり、私で4代目になります。観世流能楽師・長山禮三郎(れいざぶろう)(芦屋市民文化賞受賞)の長男として生まれた私は当然のごとく能楽の道に進みました。 記憶は定かではありませんが3歳ごろから稽古は始まっていたと思います。4歳の時に仕舞(しまい)(能の演目のクライマックス部分)で初舞台を踏んだ映像が残っています。 稽古中の父は怖かった。今でも怒鳴られた稽古中の記憶が強烈に残っています。幼少の子に怒鳴ってまで何を必死に伝えたかったのだろうと、今になって考えてみますと、私も父親として子どもに能を教える立場になって、分かってきましたが“お行儀”や“様式(決められたやり方・動き方・姿勢を守ることで生まれる美しさ)”を教えたかったのでしょう。すぐには出来なくても、少しずつ体へ叩き込んでいこうと考えていたのだと思います。幼少時の父の稽古がはじまりで、今の私は能楽師の道を歩めているのですから、父に感謝していますよ。 東京へ修行 私が高校を卒業する頃、父は「大学なんか行かずに、早く能の修行に入りなさい」と言っていたのですが、大学への憧れがあり進学しました。しかし、大学へ入学してから少しずつ地謡(じうたい)(能で謡曲の地の部分を複数人で謡うコーラスのようなもの)などの仕事が入るようになり、私の中で能に対する想いが大きくなっていったのでしょう。大学での勉強があまり意味の無いものに思えてきたので、21歳になった時に大学を辞めて、能の修行のため観世喜之(かんぜよしゆき)家のある東京へ行きました。 内弟子は私も含めて6人いました。師匠が絶対的な存在のもと、それぞれの部屋もなく、大のおとなが6人も寝食を共にしながら能の稽古に明け暮れていました。 今では内弟子時代に同じ釜の飯を食った仲間として良い交流が続いていますが、当時はみんな逃げ場もなく殺伐としていましたよ(笑)。 もうひとりの師匠 修行期間中に観世喜之師からは「能楽を体感して身体に貯金していってください。この貯金は盗まれませんから」と言われました。修行では“舞い”や“謡い”など全てにおいて、学校とは違い一つ一つを丁寧に教えてはもらえません。「私の立ち居振る舞いを観て盗みなさい」という師匠の教えでした。ですから、どこが大切なポイントか自分で気付き覚えていかないといけません。出来なければ、「何で観ていないのだ!」と怒られる、そんな毎日が26歳までの5年間続きました。修行中には、面白い人との出会いもありました。近所のラーメン店(神楽坂「龍朋(りゅうほう)」)でご飯を食べている時、マスターに話かけられ“芦屋から能の修行に来ている”と話すと「うちは夜中の3時までスープを煮込んでいるから、何かあったら気晴らしに来なよ」と言われたのが縁で、夜中によく抜け出してラーメンをご馳走してもらいました。「分からなくてもいいから色々なジャンルの芸術に触れたほうがいいよ。きっと何か得るものがあるから。だから、私もあなたの能を観にいくのですよ」ってマスターは笑いながら言っていました。オーケストラを聴きに連れて行ってもらうなど、もうひとりの師匠のような存在でした。そのお陰で、いまも積極的に絵画やダンス鑑賞などいろいろな芸術に触れるようにしています。 老木(おいき)に花 室町時代に能を総合芸術として大成させ能芸の基礎を確立した世阿弥(ぜあみ)は、伝書のなかで「老木に花」という言葉を残しています。これは、父(観阿弥(かんあみ))の年老いてからの舞いをみた世阿弥が言った“あまり動かず、控えめな舞なのに、そこにこれまでの芸が残花となって表われた。老いても、その老木に花が咲く”から来ています。いかにして「老木に花」を迎えることができるか、これが能楽師としての最大の課題でしょうか。若い時代・30代・40代・50代・その先と各年代で「演ずる」ことを積み重ねた私が、晩年に「花」を咲かすことが出来るのか。そのためには常に自身を客観的に見ること「離見(りけん)の見(けん)」を大切にしながら演じるようにしています。いつも自分のことを冷静に客観視できるようにする。舞台のうえで演じていながら、もう一人の自分が客席から観ているような状態でいる。そして、各年代で取り組まなければならない課題「初心」をくみとり慢心せずに「演ずる」ことで次の年代へ進んでいく。世阿弥の言葉「初心忘るべからず」を体現していくことで、私の「花」を咲かせたいと思っています。 芦屋と能 9年前から芦屋神社で「能楽子ども教室」を毎年開催しています。今まで280人ぐらいの子供たちが能を体験してくれました。能を好きになってくれる子どもが一人でも増えることは、嬉しいことです。能をきっかけに日本にある色々な文化に興味を持って、日本のことを深く知る子どもたちがたくさん育ってほしいと思います。そして、このグローバルな時代に芦屋から世界へ飛び立ってもらいたい、そう願いながら毎年子どもたちと接しています。緑豊かで海も山もある芦屋の環境は、能が大切にしている自然と四季を感じ取れる場所です。また、能の演目にも出てくる“ぬえ塚”や業平の父の“阿保親王塚”があるゆかりの地でもあります。本当に魅力的な街だと思います。能楽師として演じるうえで、芦屋の空気を吸っておくことは、大切だと思っています。 縁~皆さんへのメッセージ~ 能の演目「千手(せんじゅ)」に、このようなセリフがあります「一樹の蔭や、一河乃水 皆これ他生の縁と云う」。永きに渡る時代のなかで、この時代に皆さんと私が芦屋市に暮らしていることは、多少の縁があると言うことだと思います。新型コロナウイルス感染症の影響で大変な思いをされている人もたくさんおられると思いますが、この苦難を耐え前を向いて一緒に進んでまいりましょう。 プロフィール  長山 耕三(ながやま こうぞう) シテ方観世流能楽師 《故 長山禮三郎 長男》 昭和48年5月2日に生まれる。 4歳「玄象(げんじょう)」の仕舞にて初舞台。以後、先代観世銕之亟(てつのじょう)師、観世栄夫(ひでお)師、観世喜之師、父の計三十数番舞台を勤め、子方を卒業する。 平成6年5月東京観世喜之家内弟子入門。 平成12年9月独立。平成21年より自己研鑽(さん)の場「耕三の会」を立ち上げる。 平成22年稽古舞台「芦屋能舞台」を構え、姉妹都市のモンテベロの留学生に能楽体験を開催。平成29年重要無形文化財総合指定保持者の認定を受ける。令和3年「芦屋能・狂言鑑賞の会」を引き継ぎ、企画。 現在、東西の舞台で活動。 耕三の会 能『砧(きぬた)』 ■日時 3月27日(日)午後3時開演 ■会場 大槻能楽堂 ■料金 前売り券 S席 10,000円 A席 7,000円     B席4,000円 (音声ガイド 500円) ■申し込み 1月26日(水)一般発売開始  ローソンチケット(Lコード 55839) ■問い合わせ 芦屋能舞台 ☎26-6290