02-03 特 集 打出駅周辺 歴史さんぽ 打出駅周辺には、たくさんの歴史スポットがあります。 駅から北へ向かって歴史を感じるまち歩きを楽しんでみませんか。 問い合わせ 生涯学習課 ☎38-2115 1. 大名行列が通った西国街道の本街道  芦屋市域には、京都と九州の大宰府を結ぶ幹線道路が古くから通っていました。その道は、古代には山陽道と呼ばれ、江戸時代には西国街道と呼ばれていました。西国街道は、西宮市との市境付近で、北の本街道と南の浜街道の2つのルートに分かれ、生田神社(神戸市中央区)でふたたび合流します。このうち、北側の本街道は、現在の春日町や打出小槌町では鳴尾御影線にあたり、宮塚町や茶屋之町では北西に向かい国道2号にほぼ重なります。江戸時代には参勤交代のために西日本の各藩と江戸を往来する大名行列が、まさにこの道を通っていたのです。  ちなみに、「打出」の地名は、京都の都人が西に向かって旅する際、初めて海に打ち出る場所であることから名付けられたといわれています。 2. 打出地域に残る阿保親王の伝説  鳴尾御影線の歩道には、「阿保親王廟(あぼしんのうびょう)」と、大きな文字が刻まれた石碑があります。この石碑は、西国街道を行きかう人々を翠ケ丘町にある阿保親王塚古墳へ案内する道しるべで、側面には「平城天皇第四皇子是ヨリ五丁」と刻まれており、ここから5丁(約545m)北へ行けば阿保親王塚古墳にたどり着くことを示しています。  阿保親王塚古墳は、平城天皇の皇子で、歌人として有名な在原業平の父としても知られている阿保親王(792~842年)の墓と伝えられています。しかし、実際には古墳時代前期(4世紀)に阪神地域を広く治めていた地方豪族の墓であることが考古学の調査・研究で明らかとなっています。  江戸時代には阿保親王を先祖と崇める長州藩毛利家がこの古墳を整備し、灯ろうを寄進しています。また、副葬品の銅鏡が8面以上出土しており、その内の4面は阿保山親王寺(打出町)で大切に保管され、芦屋市指定文化財に指定されています。  このほかにも、打出地域には金津山古墳の黄金埋蔵の伝説をはじめ、阿保親王にまつわる言い伝えがいくつか残っています。 トピックス 『摂津名所図会』に        描かれた打出  江戸時代には、各地の名所や旧跡を紹介する、現在の旅行ガイドブックのような地誌がいくつか作られています。1796(寛政8)年に刊行された『摂津名所図会』もそのひとつで、摂津国のさまざまな名所等が紹介されています。その中で、当時の打出村も挿絵を添えて紹介されており、打出村の名所として「阿保親王塚」「金津山」「打出浜」が取り上げられています。 3. 打出に築かれた2つの前方後円墳 ~金津山古墳と打出小槌古墳~  春日町にある金津山古墳は、古墳時代中期後半(5世紀後半)の前方後円墳です。鎌倉時代~室町時代の田畑の開発で前方部が削られてしまったため、後円部だけが現存しています。この古墳には、阿保親王が打出の村人が困った時のために黄金を埋めたという伝説があり、「金津山」の名前の由来となっています。  実は、この付近にはもう一つ前方後円墳がありました。それは打出小槌古墳(打出小槌町)で、室町時代の田畑の開発により墳丘がすべて削られてしまい、地上には姿がまったく残っていません。しかし、発掘調査で古墳の濠の跡や、たくさんの埴輪の破片が出土し、古墳時代中期末(5世紀末)に築造された全長約60mの前方後円墳であったことが明らかとなりました。この古墳には、金津山古墳に葬られた人物に連なる地方豪族が葬られていると考えられています。  これら2つの前方後円墳と阿保親王塚古墳は、いずれも打出地域の地形をなす翠ケ丘台地の上に立地しており、古墳時代には、この台地が豪族の墓をつくる神聖な場所であったと考えることができます。 4. 阪神間モダニズムのおもかげ ~松山家のお屋敷跡~  現在、図書館打出分室や小槌幼稚園のある場所には、もともと、金庫・仏具商の松山與兵衛(まつやまよへえ)氏のお屋敷がありました。小槌幼稚園付近にあった母屋は1945(昭和20)年の阪神大空襲で焼失しましたが、美術品を収蔵していた石造りの建物は残り、今は図書館打出分室となっています。この建物は、大阪の御堂筋にあった銀行を1930(昭和5)年に移築したもので、2008(平成20)年には「旧松山家住宅松濤館」として国登録有形文化財に登録されました。  このほか、敷地東側の石垣(塀)や打出教育文化センターの日本庭園も松山家のお屋敷の名残で、日本庭園には当時の石造物なども残っています。 トピックス 阪神間で最も古い?!     約2万年前の遺跡  打出駅周辺には、さまざまな時代の歴史文化遺産がありますが、このあたりの歴史は約2万年前の旧石器時代までさかのぼります。当時は氷河期で、海水面は現在より100m以上低く、海岸線は紀淡海峡よりさらに沖にまで後退していました。つまり、大阪湾は存在しておらず、当時の芦屋は海岸から遠く離れた内陸の奥地であったということになります。  打出小槌町の地中に眠る打出小槌遺跡では約2万年前までさかのぼるナイフ形石器が出土していることから、旧石器時代から芦屋で人が生活していたことがわかります。これは、芦屋市内だけでなく阪神間で最も古い遺跡です。 打出の小道プロジェクト  このプロジェクトは、歴史情緒ある施設をリノベーションするとともに、隣接する公園と近代の日本庭園を一体的に整備することで、地域のかたがたに親しまれる公共空間を再構築し、小道界隈のにぎわい拠点とするエリアマネジメントの取り組みです。  昨年10月のオープニングイベントを皮切りに、打出公園&日本庭園リニューアルワークショップ(全3回)を開催し、公園等の計画案を策定しました。  これから武庫川女子大学と連携して、打出教育文化センター貸室等の利活用ワークショップを5月と7月に行い、来年度に施設改修を経て、令和6年の春にリニューアルオープンを目指します。 打出教育文化センター貸室等の 利活用ワークショップ ■日時 5月22日(日)午後2時~4時 ■会場 打出教育文化センター(大会議室) ■定員 20人程度 ※申込方法、ワークショップの詳細は市ホームページでお知らせします。 問い合わせ マネジメント推進課 ☎38-2172