02-03 特 集 吉原治良と「具 体」 問い合わせ 広報国際交流課 ☎38-2006 2022年は「具体美術協会(具体)」の指導者、吉原治良の没後50年・「具体」解散50年にあたります。 芦屋に住み続けた吉原は、戦前・戦後の日本の前衛美術をリードしてきました。「具体」発祥のまち芦屋と吉原治良との関わりを紐解きます。 吉原治良 略年譜 1905(明治38)年 1月1日、吉原定次郎・アイの次男          として大阪市に生まれる 1926(大正15)年 胸を患い芦屋に移住(21歳) 1929(昭和4)年 奥田千代と結婚(24歳) 1934(昭和9)年 二科展で出品作が入選(29歳) 1948(昭和23)年 「芦屋市美術協会」設立          第1回「芦屋市美術展覧会」「阪神童          画展覧会」を開催し終生審査員を務          める(43歳) 1954(昭和29)年 「具体美術協会」を結成(49歳) 1955(昭和30)年 芦屋公園で「真夏の太陽に挑む          モダンアート野外実験展」開催(50歳) 1956(昭和31)年 「野外具体美術展」を開催(51歳) 1970(昭和45)年 ルナ・ホールの壁画を制作(65歳) 1972(昭和47)年 2月10日、芦屋病院で逝去(67歳)          3月31日、「具体美術協会」解散 吉原治良と芦屋市展 戦後まもなく芦屋市主催の市民講座でモダンアートの講演を行い、1948(昭和23)年からは芦屋市美術協会の代表を務め「芦屋市美術展覧会」(のちの芦屋市展)「阪神童画展覧会」(のちの童美展)を開催するなど、吉原は芦屋とのかかわりが深い芸術家でした。 現在も開催される芦屋市展(旧「芦屋市美術展覧会」)は、戦後の混乱が続く中、芦屋市美術協会の主催で始まりました。「何人も随意に応募することができます」という珍しい展覧会で、やがて若手前衛作家の登竜門となり、芦屋市出身で後に同協会の代表も務める山崎つる子や吉田稔郎など、何人もの「具体」作家がここから輩出されました。 人の真似をするな、今までにないものをつくれ 吉原は、芦屋市展や自宅のアトリエ、または関西の若手前衛芸術家の社交の場であった現代美術懇談会(通称「ゲンビ」)などで出会った作家とともに、1954(昭和29)年に「具体美術協会「具体」)を結成しました。「具体」には、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いが込められており、人の真似をするな、今までにないものをつくれという彼の指導のもと、新たな表現を模索し独創的な作品を次々と生み出しました。 この「具体」の独創性を世に知らしめることになった展覧会のひとつが、1955(昭和30)年に芦屋公園で行われた「真夏の太陽に挑むモダンアート野外実験展」です。奇妙な形をしたオブジェが並び、道行く人を驚かせました(広報あしや令和4年8月号「あしや芸術さんぽ」でも紹介)。主催は芦屋市美術協会でしたが、出品者の半分以上が「具体」のメンバーで占められ、事実上の具体展でした。この野外展は好評を博し、翌年には「野外具体美術展」と名前を変え再び開催されました。 その後も従来の美術の概念を抜け出し、照明や音響、時間といった要素を含んだ作品を舞台上で表現する(行為を作品として見せる)企画に挑戦するなど世間の注目を集めました。 海外にも紹介され、世界的にも評価されたこの前衛美術グループ「具体」は吉原の死をもって解散しましたが、それまでの18年間で強烈なインパクトを残しました。 芦屋市立美術博物館所蔵「具体」メンバーの作品 「具体」は世界的に知られる美術運動のひとつとして現代美術に大きな影響を与え続けています。美術の常識にとらわれず、さまざまな手法で「具体」のメンバーは作品作りに挑みました。今回は美術博物館で所蔵する絵画作品の一部を紹介します。 新しい表現、独創的・実験的な企画に挑戦し続けた「具体」の「人の真似をするな」「誰もやっていないことをやれ」という理念を胸に、皆さんも何か新しいことに挑戦してみてはいかがでしょうか。 TOPICS 芦屋ルナ・ホール 成人式やさまざまなコンサートなどが行われる業平町にある「ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール」。このホワイエ(出入り口とホール客席部分の間にある広間)の黒い床や壁、天井に一本の白い線が通っています。これは吉原治良が手掛けたことをご存じですか? 吉原はこのホールの[出演]称決定にも携わっていました。覚えやすい響き、ホールの中が宇宙空間に浮かぶ月を連想させるような黒とシルバーに包まれていることなどから、ラテン語で「月」を意味する「ルナ」を使用してルナ・ホールと命名されました。 ※令和4年4月1日から令和9年3月31日までネーミングライツパートナーにより、ルナ・ホールの[出演]称は「ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール」となりました。 「具体」の作品制作 彼らの作品制作は非常にユニークなものでした。足で描く、塗料を流す、おもちゃの電気自動車を走らせるといった手法の他に、絵の具を詰めたビンを画面に叩きつける、大きな紙を走って突き破るといったものまであり、「人の真似をするな、今までにないものをつくれ」というコンセプトを体現していたことがうかがえます。 大阪中之島美術館 国立国際美術館 共同企画 すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合  本展覧会は、具体の歩みを、「分化」と「統合」という二つの視点からとらえなおす試みです。誰の真似にも陥らず、互いに異質であろうとしながら、あくまで一個の集団としてまとまろうとするその姿勢は、吉原の考える美術のあるべき姿、つまり「人間精神と物質とが対立したまま、握手」している状態とも、重なりあうものだと言えるでしょう。  大阪中之島美術館と国立国際美術館、2会場によって構成される本展覧会は、具体の活動拠点である「グタイピナコテカ」が建設された地、大阪の中之島で開催される初の大規模な具体展です。大阪中之島美術館で具体を「分化」させ、それぞれの独創の内実に迫りつつ、国立国際美術館では具体を「統合」し、集団全体の、うねりを伴う模索の軌跡を追う。それによって目指すのは、新しい具体の姿を提示することにほかなりません。解散後50年となる2022年、「すべて未知の世界へ」と突き進んでいった彼ら/彼女らのあゆみをご覧ください。 大阪中之島美術館 国立国際美術館 共同企画 すべて未知の世界へ - GUTAI 分化と統合 ■会期 10月22日(土)~ 令和5年1月9日(月・祝) ■会場 大阪中之島美術館・国立国際美術館 ・本展は大阪中之島美術館、国立国際美術館の2会場で開催します ・それぞれの観覧料、開館時間、休館日は一部異なりますのでご注意ください