04 特 集 2 金津山古墳(かなつやまこふん)が兵庫県指定史跡に指定されました 金津山古墳は、阪神間を代表する巨大な古墳であることと、 黄金埋蔵伝説が伝えられてきたことが高く評価されました。 問い合わせ 生涯学習課 ☎38-2115 帆立貝の形をした前方後円墳 金津山古墳は、阪神打出駅の北東約100mにある、古墳時代中期後半(5世紀後半)につくられた古墳です(※現地はフェンスの外側から見学できますが、古墳の上を歩くことはできません)。現在の姿は円墳のようにみえますが、これまでの発掘調査の結果から、本来は、前方部が通常の前方後円墳より短い「帆立貝形前方後円墳」であったことが明らかになっています。その大きさは、墳丘の全長が55mで、後円部の直径は42m、前方部の長さは13mです。前方部は、田畑の開墾のため、室町時代(14~15世紀)に削られてしまったので、現在は、後円部しか残っていません。後円部を発掘調査したところ、被葬者を埋葬した棺を覆う粘土の一部がみつかりました。棺の中やまわりに副葬された刀剣やよろい、まが玉などが、現在も地中にそのまま埋まっているかもしれません。 被葬者が誰かはわかっていませんが、古墳の形や大きさから、阪神地域を広く治めていた豪族で、大和政権と関係をもつ人物であったと推定されています。 出土した埴輪(はにわ) 金津山古墳の濠跡(ほりあと)の発掘調査では、埴輪の破片がたくさん出土しています。 出土した埴輪の破片は、ほとんどが筒形をした円筒埴輪です。これは墳丘の輪郭に沿って垣根のように立て並べられたものです。また、鶏形埴輪の頭部や人物埴輪の胴体部分、家形埴輪、盾形埴輪などの破片も確認されています。 阿保親王の黄金埋蔵伝説 金津山古墳には、かつて「金津丘」「黄金塚」「金塚」といった別の呼び名もありました。これらの名称は、江戸時代の地誌にも記されている黄金埋蔵伝説に由来します。それは、昔、打出村で暮らしていた阿保親王(792-842年。平安時代の皇族。在原業平の父)が村人たちの困窮に備えて黄金一千枚、金瓦一万枚を金津山古墳に埋めたという伝説で、村人たちは「朝日さす 入り日輝くこの下に 黄金千枚 瓦万枚」と謡い伝えたといわれています。 金津山古墳は、 芦屋市にとってかけがえのない歴史文化遺産 金津山古墳は兵庫県下を代表する古墳として、兵庫県指定史跡に指定されました。これも先人たちが地域の宝として大切に守ってきたおかげです。また、阿保親王の黄金埋蔵伝説は、今も市民に愛される魅力的な物語です。 金津山古墳を、これからも地域のかけがえのない歴史文化遺産として未来へ伝えるために、市民の皆さまと一緒に大切に守っていきたいと思います。 金津山古墳の発掘調査で出土した埴輪等の一部は、4月15日(土)から美術博物館の歴史資料展示室で展示します(要観覧料、月曜休館)。 4月17日(月)からは、三条分室(三条町39-20)3階の三条文化財整理事務所でも出土品の一部を展示します(無料、月・木曜に見学可)。