(2) 広報あしや 男女共同参画 特集 平成31年(2019年)3月1日号 男女共同参画社会を考える 芦屋市男女共同参画団体協議会代表 羽賀紘一氏 市とともに主催してワークショップ等を行い、会員向けのセミナーや研修、公開講座等を開催 1月19日オープンの新センターに何を期待しますか──  「男女共同参画社会の実現」をめざした総合拠点のセンターです、会議室も増え、「だれでもトイレ」や「キッズスペース」なども充実しました。大変喜ばしいことです。 芦屋市はもともと女性のパワーが強い街と思いますが──  芦屋市には「芦屋市男女共同参画団体協議会」の前身となる「芦屋市婦人問題を考える連絡会」が昭和60年にすでにあり、今年で35周年を迎えます。 「家庭・職場・学校・地域」での男女共同参画で大切なことは──  ずばり「自分」です。大切なのは「人間」であり、「男女共同参画」とは外国人・障がい者・LGBT(Q)といったことを超えたところで「人間」どうしの関わり合いであるはずです。海・川・山の街並みと、そこに住む素晴らしい人に囲まれ、暮らしに根差した活動の拠点として新センターが活用されると嬉しいですね。 これからの男女共同参画とは 甲南大学文学部教授 中里英樹氏 芦屋市男女共同参画推進審議会副会長を務める。専門分野は家族社会学・社会学 市民が作る男女共同参画社会  「男女雇用機会均等法」という法律の名前は多くの市民の皆さんにとってなじみがあると思いますが、「男女共同参画社会基本法」や市が2009(平成21)年に制定した「芦屋市男女共同参画推進条例」の存在や内容は、残念ながらそれと比べるとあまり知られていないのが現状です。しかし、これらの法律や条例は、とても重要な内容を含んでいます。  「男女雇用機会均等法」が、職場における女性の均等処遇を目的として導入されたのに対して、「男女共同参画」関連の法律や条例は、家庭、学校、地域などあらゆる場において男女の違いに関わりなく活動できる社会作りをすることを、政府、自治体、事業者等、そして市民の責務とする、という踏み込んだものになっています。  家族のあり方や、出産後仕事を続けるか専業主婦になるかなどの人生の選択は個々の家族や個人に任せればいい、ということはよく言われます。その通りなのですが、問題は、現在の社会の中では事実上、性別によって異なる選択肢が与えられている、というところにあります。自由な選択のためには、社会の仕組みや慣行をみんなで見直していく必要があります。そのために学んだり活動をしたりする場として、今年移転、オープンした男女共同参画センターウィザスあしやに足を運んでみてはいかがでしょうか。 絵本作家 許書寧(きょしゅにん)氏 台湾・日本で、マスコミュニケーション・ビジュアルデザインを学ぶ 違うからこそ  「日本人はやめなさい。結婚したら、お・し・ん、になるのよ!」  現在の夫と付き合い始めた頃、祖母からもらったオドシともいえる言葉でした。  祖母が生まれたのは日本統治下の台湾でした。幼い頃転々と日本人の家に奉公した辛い経験のせいか、孫娘を日本に嫁入りさせることを快く思いませんでした。実は多くの台湾人は、「日本人は亭主関白で、女性は苦労する。」という印象が未だに根強く存在しているのです。一方で、母国台湾でも男女の「こうであるべき」という固定概念により、互いが苦しむ例を数多く見てきました。   真の平等とはなんでしょう。男女生来の違いを尊重し認め合い、違うからこそできる道を探りたいと思います。 現代美術作家 エトリケンジ氏 人間の心や身体に対する考察・生命の神秘性へ真摯にアプローチした作品は、パリのカフェ「マレ シック」での個展でパリジェンヌらを魅了 実像レベルで繋がる  私の作品には、一見弱々しい少女や天使が登場します。材質はシフォンのように見えて、実は鉄でできています。そんな逞しさも持っていて、そこに美しさを感じ、表現していきたいという思いがあります。情報社会を生きる我々は、実像を見ているようでいて、実はすべて虚像であるかもしれない、そういった危うさといつも隣り合わせです。ネット社会が、マスコミの在り方を変えたように、社会を動かしているのは、実は匿名という名の有名人かもしれませんし、自分らしくあることを強要された、窮屈な現代人かもしれません。  「世間に顔向けできない」などという時、世間とは、一般的に、地域社会を指すでしょう。この世間も、言うまでもなく人の集合体であって、俯瞰しないと、それらがどのような点描画かはわからない。つまり問題の当事者は、一歩引いて、何が描かれた絵の前に立っているのか、手を差し伸べてあげなくては理解できない。しかし、それはお互い様で、何かの当事者でない人はいません。  このように、実像レベルで繋がっていくことが、地域社会の連携の正体であり、男女共同参画推進にも必要な共通の土壌であると思います。地域社会が真に美しい絵となるか、そこに集い行きかうひとりひとりにかかっているといえるかもしれません。