02-03 特集 語り継ぐ芦屋のまちと暮らし 問い合わせ 国際文化推進課☎38-2115 三世代で語る「昭和・平成・令和」 1926年に「昭和」という時代が幕を明けてから、今年でちょうど「昭和100年」。芦屋市民の皆さんにとって、昭和はどんな思い出として残っているのでしょうか。今回は、三世代にわたり芦屋市で暮らす和田法子さん・山下祥子さん・梓ちゃん・紬ちゃん のご一家にお話を伺いました。梓ちゃん・紬ちゃんに特別広報員をお願いして、おばあちゃんとお母さんに昔の暮らしや思い出を聞いてもらいました。 昭和ってどんな時代? 梓ちゃん:ばあば、昭和ってどんな時代だったの? 祖母:今より不便なことも多かったけど、ご近所づきあいがすごく温かかったのよ。地域の人たちと協力してお祭りをしたり、公園で遊んだり、みんなでよく集まったものよ。 紬ちゃん:どんな遊びをしてたの? 祖母:お人形遊びやブランコ、缶蹴りなんかもね。 梓ちゃん:わたしもブランコ好き!缶蹴りもやるよ! 母:ママのこどものころは、遊んでる子がいたら知らない子も自然とまざって一緒に遊んでたの。今は「知らない人に近づかない」って言われるから、ちょっと違うよね。 梓ちゃん:ママの思い出も教えて! 母:そういえば、小さい頃に驚いたことがあるの。駄菓子屋さんで友達がゲームしてるのを見てただけなのに、ご近所さんから「ママがゲームをやってた」って伝わってしまってね。家に帰ったら、もう大きいばあば(曾祖母)が知っていて怒られたの。スマホもない時代なのに帰るまでの短い時間には家に届いていて、ご近所の目がある時代だったなぁって(笑)。 祖母:昔はこどもがたくさんいて、夏祭りや地蔵盆もにぎやかだったの。ママの誕生日がお祭りの日と重なって「お祝いだね」ってよく一緒に出かけたのよ。 母:お揃いの浴衣で盆踊りを練習してた人もいたよね。当日はこどもたちも一緒に輪に入って、大きな輪になってたなぁ。 祖母:今は見かけないけれど、きっと違う形で人が集まってる のかもしれないわね。 母:今はネットでつながれる便利さがあるけど、昭和の温かいご近所のつながりもすてきだったな。 わたしのすきな場所 紬ちゃん:ばあばとママの一番好きな芦屋の場所は? 祖母:私は松浜公園ね。こどものころから変わらない川や松林を見ると、心がホッとするのよ。 母:ママも小さい頃よく行ったなぁ。もう海はなかったけど、名残であった海の家で肉まんを食べたのを思い出すわ。 祖母:そういえば、じいじが昔、巨人の選手が松浜の海岸をランニングしていたのを見て巨人ファンになったんだって言っていたのよ。そういうことも含めていろいろと思い出のある風景なの。 母:涼風町に家がまだ建っていないころに見たサマーカーニバルの花火も大好き! 紬ちゃん:私は習い事の途中で通る宮川の橋からの景色!あと、こども園のあじさいも好き! 祖母:芦屋は小さいけど落ち着ける場所が多いわね。家族で大好きなまちについて色々語り合えるのはうれしいことよね。 家族の思い出 紬ちゃん:家族の思い出ってなにがある? 祖母:行事ごとは家族で大事にしてきたわね。こどもの日の菖蒲湯や、お正月のおせち作りとか。 母:12月30日の午前0時から家族で大きいばあばのお家に集まって、お菓子をつまんでわいわいしながら おせちを作ったの、楽しかったなぁ。 梓ちゃん:いいなぁ!私もやってみたい! 祖母:今は作らなくなったけど、大みそかに買い出しに行って、みんなでお茶するのが恒例。それは続けたいわね。 昭和から受け継ぎたいもの 梓ちゃん:ばあばとママが芦屋の未来に残したいものってなあに? 祖母:長い時間をかけて守られてきた芦屋の景色や文化ね。 このまちで自分らしく生きられる環境を、これからも大事にしてほしいわ。 母:こどもやお友達のことを思いやって、お互いに支え合う温かさかな。そしてこの恵まれた芦屋で、あなたたちが好きなことや、やりたいことを見つけて育ってくれたらうれしいわ。 懐かしいあの頃へタイムスリップ! 写真で見る昭和の芦屋 タイムスリップ!写真が語る昭和ノスタルジーな芦屋の日常 めがね橋 昭和41(1966)年頃 宮川と国鉄(現JR)が立体交差する場所にありました。3つのトンネルの内、ひとつは宮川、残るふたつは道路として利用されていました。昭和42(1967)年に道路拡張のためになくなりました。 阪急芦屋川駅南側のバス停 昭和42(1967)年 朝は多くの学生が利用し、にぎわっていました。当時の阪急バスに時代を感じることができます。 三八商店街 昭和29(1954)年 商店街の名前は、昭和3(1928)年8月頃にできたことに由来します。芦屋の中心的な商店街として賑わっていました。戦後に設けられたアーケードは、阪神・淡路大震災で被災し、なくなりました。 国道2号を走る阪神国道電車 昭和35(1960)年 国道2号には、昭和49(1974)年3月まで阪神国道電車が走っていました。芦屋市域には「山打出」「芦屋駅前」「芦屋川」の3つの停留所がありました。 芦屋海水浴場 昭和25(1950)年頃 昭和23(1948)年に芦屋浜に市営海水浴場が開設されました。シーズン中は海の家が建ち並び、最盛時にはひと夏で34万人の人出があったといわれています。しかし、昭和30年代からは海水汚染がすすみ、昭和39(1964)年には閉鎖され、昭和44(1969)年から埋立工事が着工されました。 国鉄芦屋駅北側 昭和43(1968)年 昭和45(1970)年には、3階建の橋上駅舎になりました。国鉄(JR)芦屋駅北地区の再開発では、昭和58(1983)年にアルパ芦屋、昭和61(1986)年にラポルテ本館、平成元(1989)年にラリーブ、平成4(1992)年にラポルテ東館、平成5(1993)年にラ・モール芦屋、平成6(1994)年にラポルテ北館が完成しました。 駅東商店街 昭和30(1955)年 現在のJR芦屋駅の東側にあった商店街です。夏の五と十のつく日には夜店が開かれていました。この商店街は、平成6(1994)年にラ・モール芦屋として生まれ変わりました。 富田砕花旧居 「兵庫県文化の父」と呼ばれる詩人、富田砕花の旧居で、母屋は昭和29(1954)年築です。昭和62(1987)年からは芦屋市が公開しています。昭和の雰囲気を感じることができますので、ぜひ、お越しください。 ■開館日 日曜日・水曜日 (午前10時~午後4時・入館は3時まで)12月29日~1月3日・8月13日~19日は休館。※入館料無料