02-03 特集 みんなで考えよう 平和と人権 戦後80年 非核平和都市宣言40周年 平和を想い、考え、行動し続ける─それが私たちの平和 問い合わせ 人権・男女共生課☎38-2055 今年は、戦後80年、そして芦屋市議会が非核平和都市宣言を決議してから40周年という、大きな節目を迎えます。この歴史的な年を迎えるにあたり、改めて戦争の悲惨さと、平和の尊さを胸に刻み、未来世代へと継承する決意を新たにしています。 本市では8月23日に、ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホールにて、戦後80年及び非核平和都市宣言40周年記念「あしや平和の集い」を開催いたします。当日は、小学生の描いた平和ポスター展入賞者表彰式や『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』映画上映のほか、県立3校の高校生と平和について語り合います。未来世代とともに、誰もが安心して暮らすことのできる平和な社会の実現に向けて、学び合い、行動につなげる機会としたいと考えています。 平和とは、ただ単に紛争がない状態を指すのではありません。私たち一人ひとりが日々の暮らしの中で、平和を想い、考え、行動し続けるプロセスそのものが、平和には必要ではないでしょうか。そのためには、対話を重ねることでお互いの違いを認め合い、協調することが欠かせません。 私自身は、今月長崎市で実施される「第11回平和首長会議被爆80周年記念総会」に参加いたします。世界中の首長等とともに平和に向けた取り組みについて話し合う、大変貴重な機会です。平和の実現のため地方自治体としてできる取り組みに加え、戦争を知らない世代に対して戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝える取り組みについても改めて考え、国内外に発信していきたいと考えています。 平和は誰かが勝手に築いてくれるものではないと思います。市民の皆さまにも、ぜひ「あしや平和の集い」にご参加いただき、改めて平和について考え、行動するきっかけとしていただけますと幸いです。ともに一歩を踏み出しましょう。 2025年8月 芦屋市長 髙島崚輔 市長メッセージ 市役所東館北側の緑地に植えられた「被爆アオギリ二世」は、今年で植樹から8年が経ちました。この木は、昭和20年の原爆投下後に焼け焦げた幹から芽吹いた広島のアオギリの2世です。困難を乗り越えて生き続けるその姿は、今も多くの人に勇気と希望を与えています。 被爆アオギリ二世の前にて 戦火に包まれたまち ―空襲と疎開から見る芦屋の記憶 太平洋戦争末期、全国各地が空襲に見舞われる中、芦屋市も例外ではありませんでした。市街地の爆撃、学校校舎の焼失、そしてこどもたちの集団疎開――あらためて戦争の悲惨さ・平和の尊さについて考えながら、市民が経験した戦争の記憶を振り返ります。 昭和20(1945)年、日本の戦況が不利になる中、戦場は沖縄から日本本土へと移り、大規模な空襲が全国を襲いました。3月10日の東京大空襲を皮切りに、名古屋・大阪・神戸といった大都市が相次いで標的となり、無差別な焼夷弾(しょういだん)による絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)で市街地が焼き払われました。その余波は中小都市にもおよび、芦屋市も空襲の被害を受けました。最初の空襲は5月11日早朝。神戸市にある航空機製作所を狙った爆撃の中で、芦屋市にも250キロ爆弾が投下されました。続く6月5日には、2度目の神戸大空襲で焼夷弾が周辺地域にも降り注ぎ、芦屋市にも被害が拡大。そして6月15日には、大阪・尼崎を狙った爆撃の際に、再び芦屋市が巻き込まれました。 戦局の悪化に伴い、こどもたちの集団疎開も本格化しました。6月、精道国民学校(現・精道小学校)と宮川国民学校(現・宮川小学校)の児童あわせて430人が、岡山県上房郡・川上郡へと教員に引率されて避難。対象は3年生以上で、1〜2年生は地方の親戚を頼る縁故疎開となりました。一方で、793人の児童は疎開せず、芦屋市内に残留しました。 そして8月6日未明、戦争末期の最も激しい空襲の一つが芦屋市を襲います。後に「阪神大空襲」と呼ばれるこの攻撃では、100機をこえるB29爆撃機が西宮市から御影方面にかけての市街地を焼夷弾で攻撃。芦屋市街から香櫨園にかけて火の海となり、多くの家屋や建物が焼失しました。 この空襲の情報はラジオを通じて報じられ、疎開先にも届きました。教員たちは不安を抱えるこどもたちに事実を伏せようとしましたが、こどもたちはその変化を敏感に感じ取り、やつぎばやに「先生、何かあったの?」「僕の家は?」と問いかけた様子が、精道国民学校の疎開日記に残されています。 芦屋市は、計4度の空襲を受けました。焼失面積は55万9千坪、罹災者は人口の5割にのぼり、家屋の約4割が損壊、特に学校施設は8割が失われるという甚大な被害を受けました。 芦屋のまちは焼け跡から再び立ち上がり、見事に復興を成し遂げました。 未来世代へ戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていくことが、私たちにできる大切な役割です。 「芦屋市平和記録集」から再編して掲載しています。 高校生のみなさんにとっての「平和」とは? 今できる平和のための一歩とは? 市内にある兵庫県立高校3校の皆さんにとっての「平和」とは?そんな問いに、自分の気持ちや考えをスケッチブックに書き出し、そして“今できる平和のための一歩”も、それぞれの言葉で答えてもらいました。 芦屋国際中等教育学校 石原さん あたりまえの毎日 「お互いを知り違いを受け入れること」 芦屋国際中等教育学校 渡邉さん みんなが笑顔でいられること 「思いやりを持って助け合うこと」 芦屋高等学校 小松さん いつもの日常 「受け継いでいくこと」 国際高等学校 小田さん 家族と楽しく話しているとき 「思いやりを大切にする」 国際高等学校 出田さん 大切な人と日常を共にすること 「自分と他者を思いやること」 国際高等学校 天野さん 友達と笑いながら弁当を食べているとき 「身近な人を大切にする」 芦屋高等学校 小林さん 友達と話しているとき 「互いに納得すること」 芦屋で考える平和のこと 戦後80年及び非核平和都市宣言40周年記念 「あしや平和の集い」 ■日時 8月23日(土)午後1時~4時45分 (0時15分開場)※申込不要 来場者には記念品をプレゼント ■会場 ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール ■内容 【第1部】小学生の描いた平和ポスター展入賞者表彰式 【第2部】未来世代と市長によるディスカッション(出演:芦屋市長 髙島崚輔/高校生〈兵庫県立芦屋高等学校/兵庫県立国際高等学校/兵庫県立芦屋国際中等教育学校〉 【第3部】第80回ふれ愛シネサロン「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」  手話通訳あり(第1・2部)・バリアフリー字幕あり(第3部) たゆまぬ平和への歩み展 ■日時 ~8月29日(金)  ※最終日は午後4時まで ■会場 市役所北館1階 展示コーナー 原爆死没者慰霊黙とうのお願い 被爆80年を迎える広島・長崎では、原爆死没者の慰霊と平和祈念の式典が行われ、黙とうがささげられます。皆さんも1分間の黙とうにご協力をお願いします。 【広島原爆忌】 8月6日(水)午前 8時15分 【長崎原爆忌】 8月9日(土)午前11時2分 原爆被害等を疑似体験 VR(バーチャルリアリティ)ゴーグル ■日時&会場 ①8月23日(土)午後0時15分~5時:ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール(「あしや平和の集い」にて)②8月18日~29日午前9時30分~午後4時30分:芦屋市役所分庁舎1階(人権・男女共生課)※土日祝を除く■内容 被爆前の中島町や、被爆後の元安川付近・相生橋の様子をCGで再現。音声解説あり。7カ国語対応。(日・英・仏・独・伊・西・アラビア) 芦屋市と平和首長会議 「核兵器による悲劇が二度と繰り返されてはならない。」この強い願いのもと、平和首長会議は昭和57(1982)年に、広島市と長崎市を中心に設立されました。芦屋市は、平成23(2011)年7月1日より加盟しており、平和首長会議と連携しながら、平和の大切さを伝えるさまざまな取り組みを行っています。 【芦屋市の主な取り組み】 ▶平和首長会議総会への参加 ▶平和首長会議国内加盟都市会議総会への参加 ▶被爆アオギリ二世の植樹(平成29年5月に東館入口前に植樹) ▶「核兵器禁止条約」の早期締結を求める署名活動 ▶「子どもたちによる"平和なまち”絵画コンテスト」入賞作品およびメッセージなどの展示(この取り組みは、平和首長会議ニュース2024年1月号に掲載されました。) ▶平和行政新任者向けオンライン研修(令和6年に実施された新任者向け研修で、市の取り組み内容を紹介しました。)