02-03 特集 谷崎潤一郎没後60年 谷崎潤一郎と芦屋 ─ 時を超えてめぐる物語 問い合わせ 国際文化推進課☎38-2115 芦屋市は文豪・谷崎潤一郎が愛したまち。最愛の妻・松子夫人と ともに約2年半を過ごし、『細雪』の舞台にもなりました。 『細雪』の中で谷崎は、六甲の山々の緑を望み澄んだ空を仰ぐことのできる、空気も清新で和やかな芦屋の地に住むよろこびを印象的に綴っています。没後60年を迎える今年、作品やゆかりの地を通して、谷崎と芦屋の深いつながりをご紹介します。 関東大震災をきっかけに阪神間に移住 1886(明治19)年に東京で生まれた谷崎潤一郎は、1910(明治43)年、24歳の時に発表した「刺青」が評価され、文壇デビュー。東京で作家としての第一歩を踏み出した彼が関西で暮らすようになったのは1923(大正12)年の関東大震災がきっかけでした。 阪神間――西宮・芦屋・神戸での日々が始まり、この地の暮らしの中で『蓼喰う虫』〔1928(昭和3)年〕や『卍』〔1928(昭和3)年〕、『春琴抄』〔1933(昭和8)年〕、『猫と庄造と二人のをんな』〔1936(昭和11)年〕そして代表作『細雪』〔1943・1944・1946~48(昭和18・19・21~23)年〕など、古典文学の伝統や関西ことばの魅力を生かした作品を次々に生み出しました。 谷崎文学に登場する「芦屋」という舞台 代表作『細雪』で芦屋が舞台になっているのはよく知られています。しかし実は、それ以外の作品にも、谷崎潤一郎は芦屋の風景をたびたび登場させているのです。谷崎が初めて芦屋を登場させたのは、1927(昭和2)年に『文藝春秋』の1月号に発表した犯罪小説「日本に於けるクリップン事件」でした。 物語の舞台となったのは、大正の終わりから昭和の初めの阪急芦屋川駅周辺で、農村から急激に住宅地へと変わっていった様子が描かれています。 「(阪急電車の)沿線はつい最近にこそ急激な発展をしたものの、当時は今の半分も人家がなかった。」 谷崎潤一郎「日本に於けるクリップン事件」『文藝春秋』1927年1月号 谷崎が見つめた「芦屋」とは、どんな風景だったのでしょうか―― 「引っ越し魔」谷崎潤一郎と芦屋・打出の家 谷崎潤一郎は、関西に移り住んでから1923~1944(大正12~昭和19)年の約20年間で、なんと13回も引っ越しを繰り返した“引っ越し魔”としても知られています。その間、西宮・芦屋・神戸と阪神間を転々とし、芦屋には1934(昭和9)年3月から1936(昭和11)年11月まで、約2年半暮らしました。彼が住んでいたのは、現在の宮川町にある「打出の家」。1935(昭和10)年1月28日には、この家で最愛の松子夫人と結婚式を挙げ、谷崎にとって思い出深い特別な場所となりました。この「打出の家」では、『文章読本』(1934年)や『猫と庄造と二人のをんな』が生まれ、「源氏物語」の現代語訳にも取り組みました。 そして実はこの「打出の家」、現在は「富田砕花旧居」として残されています。残念ながら谷崎が暮らしていた母屋は、1945(昭和20)年の阪神大空襲で焼失してしまいましたが、南側にある門屋(かどや)や庭の擬春日燈籠(ぎかすがとうろう)、松の木などは、谷崎が暮らしていたころの面影を今に伝えています。 現在、門屋は富田砕花旧居の展示棟として公開されており、谷崎が実際に執筆していた空間に足を踏み入れることができます。文学に生きた谷崎の日常を、ぜひ肌で感じてみてください。 芦屋の日常生活 を丁寧に描く『猫と庄造と二人のをんな』 谷崎潤一郎が「打出の家」(現在の富田砕花旧居)に暮らしていた頃に執筆された小説、『猫と庄造と二人のをんな』。1936(昭和11)年に発表されたこの作品には、当時の芦屋の生活風景が色濃く描かれています。物語の主人公は、芦屋の旧国道(現在の国道43号)近くで荒物屋を営む男・庄造。 庄造が溺愛する飼い猫のリリーを取り巻く2人の女(妻・福子と前妻・品子)の葛藤や人間模様を描いた物語で、売り子が新鮮な魚を売り歩く声が響き、庶民が暮らす芦屋の下町の日常が、丁寧に描かれています。谷崎は人間の機微とともに、このまちの息づかいまでも作品に閉じ込めました。 「(芦屋では)地元の浜で獲れる鯵や鰯を、「鯵の取れとれ」「鰯の取れとれ」と呼びながら大概毎日売りに来る。「取れとれ」とは「取りたて」という義で、値段は一杯十銭から十五銭ぐらい、それで三、四人の家族のお数になるところから、よく売れると見えて一日に何人も来ることがある。」 「何というアテもなしに、(自転車の)ベルをやけに鳴らしながら芦屋川沿いの遊歩道をまっすぐ新国道(現在の国道2号)へと上ると、つい業平橋を渡って、ハンドルを神戸の方へ向けた。」  谷崎潤一郎 『猫と庄造と二人のをんな』 芦屋の風景とともに描かれた谷崎文学の代表作『細雪』 『細雪』は、1936~1941(昭和11~16)年の間の大阪船場の旧家である蒔岡家の四人姉妹、鶴子・幸子・雪子・妙子の美しく華やかな生活風景を描いた長編小説です。四姉妹の人間模様や季節の移ろいが、優雅な筆致で描かれています。 中でも、芦屋にある次女・幸子の分家が物語の主な舞台として登場 し、芦屋の風景が物語とともに深く息づいています。「高座の滝」「水 道路」「阪急芦屋川」「JR(旧国鉄)芦屋駅」「業平橋」「阪神国道」「津知 の停留所」、そして「芦屋の海岸」などが随所に登場します。 また、1938(昭和13)年に実際に起きた「阪神大水害」の場面では、濁流が押し寄せる迫力ある描写となっています。芦屋というまちの風景と、四姉妹のたおやかな暮らし。その両方が織り重なる『細雪』を描きたかったのかもしれません。 「この三人の姉妹(幸子・雪子・妙子)が、たまたま天気の好い日などに、土地の人が水道路(すいどうみち)と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所(よそ)行きの衣裳(いしょう)を着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹(ひ)かずにはいなかったので、・・・」 谷崎潤一郎 『細雪』 谷崎文学の世界にふれる場所―芦屋市谷崎潤一郎記念館 谷崎潤一郎記念館は谷崎が愛した芦屋の地に、1988(昭和63)年開館しました。松子夫人をはじめとするご遺族や多くの方々から寄贈された直筆の原稿や書簡、初版本など貴重な資料が公開されています。静かな時間が流れる記念館で、谷崎の作品世界にじっくりと浸ってみませんか。 問い合わせ 谷崎潤一郎記念館 ☎ 23-5852(〒659-0052伊勢町12-15)