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更新日:2015年1月29日

芦屋の歴史

今も昔も変わらぬ環境の良さ

山芦屋遺跡本市は、交通の利便性と温暖な気候に恵まれた閑静な住宅地として、全国にその名が知られています。南に大阪湾を臨み、北には緑豊かな六甲の山々が連なり、四季の彩りに包まれた住環境です。約2万2,000年前、はるか旧石器時代のころから、私たちの祖先はこの地に暮らし始めたようです。
市内最古の集落跡が見つかっている山芦屋遺跡からは、約8,000年前の阪神間最古の土器などが発掘されています。このころは、狩猟や植物採取を中心とした、原始的な生活が行なわれていたことがわかっています。

紀元前300年頃の弥生時代を迎えると、生活の様式が稲作農耕中心へと変わります。平地や高地に、たくさんの集落も生まれました。なかでも、会下山の山頂尾根で発見された住居群は高地性集落と呼ばれるもので、竪穴住居のほか高床式の倉庫や祭祀場も残っています。

 

平安時代には、「延喜式」に『葦屋駅伝馬十二疋』とある駅も置かれ、京と西国を結ぶ交通の要所でした。
また、「伊勢物語」によると、在原業平と思われる主人公が芦屋に住み、京の都からやってきた人々を『布引の滝』へ案内したと記されています。
このほかにも、「万葉集」をはじめとする歌集にもたびたび取り上げられるなど、「芦屋」の名は古典文学にしばしば登場します。
中世・戦国時代になると、この平和な里にも戦禍が及びます。楠木正成と足利尊氏の打出合戦や松若物語で知られる鷹尾山の悲劇など、芦屋は戦いの舞台となりました。
こうした戦乱の中で、人々は結束を固めていきます。そして戦国時代の末には、打出・芦屋・三条・津知という四村が誕生しました。

農村から住宅地へ

明治維新以後、しばしば行政区域が変わりましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県の布告によって、芦屋村・打出村・三条村・津知村の四村が兵庫県管轄下に置かれることになりました。そして、明治22年(1889年)の市制・町村制施行によって四村が合併し「精道村」が誕生しました。
また、交通機関の発達によって、文明開化の波が押し寄せました。明治41年(1908年)に電灯供給が開始され、大正元年(1912年)にガスの供給開始。明治38年(1905年)には、阪神電車が開通し、芦屋と打出に駅が置かれました。大正2年(1913年)には、国鉄(現JR)が設置され、大正9年(1920年)には阪急電車が開通し、昭和2年(1927年)には阪神国道も開通しました。
こうして、田園風景の広がるのどかな農村であった芦屋は、神戸・大阪の近郊住宅地として、めざましい成長を遂げることになりました。

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