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更新日:2014年11月27日
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芦屋神社は、かつて「天神社」と呼ばれた神社で、市花のコバノミツバツツジやクロマツなど緑が多い神社です。境内には、約1400年前の古墳時代の横穴式石室墳が残されている他、三十六歌仙の一人に数えられる平安初期の歌人「猿丸 太夫」の墓と伝えられる宝塔があります。
旧東京帝国ホテルなどの設計をしたアメリカの建築家F.L.ライトに灘の酒造家山邑太左衛門が別荘として設計を依頼し、大正13年に完成した邸宅で、F.L.ライトの住宅建築としては日本で唯一ほぼ完全な姿で現存するものです。
大谷石のテクスチャーを活かした幾何学的な装飾をもつ建物からは、芦屋のまち並みと大阪湾が一望できます。
昭和49年に国の重要文化財に指定されました。
江戸時代の芦屋地方は、芦屋川の急流を利用して水車による精米や油絞りが行われていました。
現在も芦屋川沿いに「水車谷」の地名が残り、その歴史は民家の石垣に残された石臼に偲ばれます。
京焼、紀州焼の陶芸美術館として、昭和39年に邸宅を改装して開館しました。
館内には、戦前大阪財界の重鎮であった山口吉郎兵衛が収集した人形、かるた、羽子板をはじめ京焼、紀州焼の名品などの古美術が展示されています。
高座の滝は、芦屋ロックガーデンへの登り口にあり、滝の高さ10メートルの夫婦滝です。
滝の左横の岩盤には、「藤木 九三翁」のレリーフがはめこまれています。藤木 九三は登山家として、日本に近代登山技術を伝え、芦屋ロックガーデンなどの命名者としても知られています。
会下山遺跡は、昭和29年に発見されました。標高160m~200mの表六甲山系の尾根上にある約2000年前の弥生時代の高地性集落跡で、住居跡や祭祀場跡、墓跡などがあります。今は遺跡公園として整備されており、高床倉庫が復元されています。平成23年に国史跡に指定されました。