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更新日:2024年3月30日

【 前 編 】芦屋市から被災地へ

緊急消防援助隊の出動指示

市内状況

2024年1月1日16時10分頃、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6、

最大震度7を観測する大地震が発生した。

大きな揺れは兵庫県芦屋市にも伝わり、日本海側には津波警報が発令され、

地震の揺れが収まった後でも、緊張が収まることは無かった。

地震発生直後から地震による被害の情報収集を行った。

ただちに芦屋市内のパトロールを行い、幸いにも芦屋市に被害の報告はなかった。

兵庫県の日本海側には津波警報が継続して発令されていたため、

県内応援の可能性も考慮し、緊急消防援助隊の派遣だけでなく、

県内応援に関しての準備も進める。

発災から一夜明け、テレビ放送を中心に被害の状況が断片的だが徐々に明らかになってきた。

地震発生後、2日目から近隣の都道府県大隊は緊急消防援助隊の出動を行いだした。           

兵庫県に出動指示が下りたのは発災から11日後の1月12日。

芦屋市消防本部は救急小隊1隊3名の派遣が決まった。

 

緊張と興奮に渦巻く兵庫県大隊

集結

1月15日12時30分、兵庫県広域防災センターに兵庫県大隊の全隊が集結する。

神戸市消防局を兵庫県大隊の指揮隊長(大隊長)とし、

各消防本部から車両52台、人員182名が集結した。

隊列の中には芦屋市救急小隊の姿もあった。

緊張が隠せない様子の隊員もいれば、

被災地での活動にやる気十分の半ば興奮状態の隊員の姿も目に留まる。

責任ある隊長達には現場とは違う独特の緊張感が漂っていた。

各小隊長に集合がかかり、兵庫県大隊の指揮隊長から本日の行動計画が告げられた。

13時25分に兵庫県広域防災センターを出発し、

1日目の宿営地である福井県消防学校に到着するのが18時の予定となる。

直前の天気予報では福井県や石川県に大雪が予想され、

雪の影響が気がかりであり、予定どおりに行動ができるか不安が残るなか、

兵庫県大隊は1日目の宿泊予定地である福井県消防学校に向け、隊列を進めた。

高速道路は比較的スムーズに走行することができ、隊列は順調に被災地へ進んで行く。

体育館

福井県消防学校に到着したのが19時40分。

予定より1時間40分の遅れであるが、予想の範囲内。

予想範囲を超えてきたのが雪の影響である。

福井県消防学校で仮眠をとった後、約6時間後の深夜2時に、

福井県消防学校を出発し、やなぎだ植物公園に出発予定であった。

しかし現地での情報収集をした結果、

深夜帯の出発は雪の影響で大隊での隊列は不安全のため断念。

6時に起床をし、7時にミーティングを行うことに変更となった。

出発時間は現段階では未定である。

早く現場に着きたい、という気持ちを抑え各隊員が仮眠を取った。

まだ疲れは見えてこない。

 

想像を上回る環境と現実

消防学校

6時起床。

福井県消防学校周辺に雪の影響はなし。

情報収集をした結果、やなぎだ植物公園までの道路に雪の影響が

少ないことを確認し7時30分に出発が決まり、一同はほっとする。

向かうはベースキャンプとなるやなぎだ植物公園。

隊列の先頭は兵庫県北部に位置する豊岡市消防本部となった。

雪に強い消防本部が走行しながら道路状況を確認する。

非常に心強く感じた。

不安を振り払い隊員と共に再度、気を引き締める。

金沢東インターチェンジを下り、一般道に差し掛かった辺りから

道路の陥没や家屋の倒壊が目に付くようになってきた。

被災地が近づいている事を実感した。

市内状況

ベースキャンプが近づくにつれ目を覆いたくなるような街の様子が現れてきた。

道路は大きくうねり、電柱や家屋はことごとくなぎ倒されていた。

大きな魔物が街を襲ったのか。

テレビや映画の中の世界がいま、目の前にある。

地震を経験したことのない隊員の目は、見開いたまま、言葉を失った。

芦屋市は29年前、阪神淡路大震災を経験している。

今では復興を遂げ、街中には震災の爪痕は残っていないが、

わたし達の街もこのような姿だったのか。

考えるだけでぞっとした。

背筋に冷たい汗がにじみ出る。

 

【後編】災害に立ち向かうに続く。

 

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