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更新日:2014年10月30日
この住宅は、大正年間ライトが帝国ホテル建設の目的で来日したとき設計したものです。1918年(大正7年)に、山邑家の別邸として設計されましたが、ライトが滞在中には工事は行われませんでした。ライトが帰国後、彼の高弟、遠藤新(えんどう・あらた)や南信(みなみ・まこと)らによって建設されたものです。棟札によると、1924年(大正13年)2月11日に上棟式が行われたということです。
帝国ホテルが有名であり過ぎたためか、ライトのわが国での住宅設計業績は従来疎んじられてきました。しかし、わが国での12件の業績の半数にあたる6件は、住宅であったのです。現在、創建時の姿を留めているのは、この迎賓館のみであり、それだけに住宅作家としてのライトの作品を、体験的に理解するこののできる唯一の遺構ということになります。
ライトが来日した1910年時代後半から1920年代初頭にかけては、余り仕事に恵まれない時期でした。大恐慌のアメリカ合衆国では、殆ど設計の仕事がなかったのです。唯一、ゴールド・ラッシュに涌くロサンゼルス周辺のみは例外でした。ライトはロサンゼルスで幾つかの住宅設計を行い、同時にわが国での仕事に携わっていったのです。それだけに、彼は数少ない業務に全精力を傾注していったといえるでしょう。
迎賓館は、ライトのロサンゼルス周辺での住宅と共通する概念で設計されています。亜熱帯の厳しい気候条件から逃れるためのシェルターとしての住宅を実現しようと努めたのでしょう。これはまた、わが国での他の住宅が、彼の「草原住宅」スタイルで造られているのと異なって、誠に興味深い、そして貴重な業績といえる所以であると思うのです。