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更新日:2019年10月4日
芦屋市の水道事業は、昭和10年3月に兵庫県から許可を受け、昭和13年4月1日に給水開始をしています。その後、6期にわたる拡張事業を実施し、現在は第7期拡張事業として、計画給水人口98,600人、計画一日最大給水量41,800立方メートルの数値に基づく施設整備を行なっています。そして、一日平均配水量30,000立方メートルの水を約94,000人の皆さまに提供しています。
本市は、六甲山系を背にした南斜面の地形であるため、気候には恵まれていますが、市内を流れる河川はいずれも中小河川で、その上急斜面であるため、表流水に持続性がなく、「芦屋の水」の歴史は水争いの歴史でもありました。なかでも、文政10年の打出・芦屋村と住吉川下流6ケ村との間における「土樋割り」の水争いは有名であり、今も「土樋割り」と言う地名が蛇谷の上流に残っており、ハイカーの目印にもなっています。
明治初期から昭和初期にかけて阪神間に交通機関が発達し、電灯・ガスが供給されるや本市は一躍別荘地として住宅開発が進み、年々人口も増加し、飲料水に事欠く状態となりました。時あたかも悪疫流行も重なり、保健衛生上、防火上、そして高級住宅地としての見地からも、上水道の完備が都市発展上欠かせないものとして、調査・研究が進められました。その結果、大正末期に精道村一円を供給区域とする上水道布設計画が立案されましたが、不幸にして実現を見ずに終わり、その後は小規模の簡易水道が各所に造られ、その数は十指を数えました。
昭和6年に再び上水道建設の気運が高まり、昭和9年には精道村議会において給水人口50,000人、1日最大給水能力8,250立方メートル、総工費850,000円の上水道布設事業が満場一致で可決され、昭和13年3月31日に奥山浄水場などが完成し、翌4月1日に給水を開始しました。村民の期待は大きく、1年後の普及率は実に45%に達し、簡易水道は逐次解消していきました。しかし、給水開始直後の同年7月5日に阪神地方を襲った大水害は、完成間もない水道施設にも多大な被害をもたらし、これが完全に復旧したのは4年後の昭和17年でした。
六麓荘は昭和3年より住宅地として開発され、水道も開発業者が行っていましたが、昭和14年に六麓荘水道を統合しました。
第1期拡張事業計画では一日一人当たり使う量で110リットルと、現在使われている一日一人当たり平均給水量約319リットルに対して、3分の1程度の給水計画でした。
また、昭和20年に阪神水道企業団からの受水を開始しました。現在では芦屋市の自己水源が給水量に占める割合は約12.8%で、残りの約87.2%を阪神水道企業団から受水しています。
芦屋市の発展の状況を考え、将来の給水量増加に対応するため、阪神水道企業団からの受水量の増強と配水区域の見直しを行ないました。岩園町の岩園団地の開発を受けて、阪神水道企業団から受水するための芦屋調整池を建設しました。
これまでの給水区域は標高120m以下の区域でしたが、北部地域の開発計画に合わせて、標高170mまでを給水区域として拡張し、奥山浄水場の近くにある最高区配水池を建設しました。また、山芦屋水道を統合し、自己水源の新規開発として、高座川浄水場を建設しました。(現在は廃止)
芦屋川の渇水期に奥山浄水場へ原水を補充することを目的として、奥池の横にある貯水池(奥山貯水池)を建設しました。併せてJR東海道本線以北地域の給水を円滑に行なうため、配水池3か所の新設を含む配水施設の増強を行ないました。また、点在した施設の集中管理を奥山浄水場で行なうために、計装設備を導入しました。
兵庫県の施工による芦屋浜埋立地(シーサイドタウン)に、送配水管を敷設しました。なお、給水量の増加に伴う水源手当については、阪神水道企業団に対して暫定給水を依頼し、阪神水道企業団及び構成市の協力により、1日最大8,000立方メートル/日の暫定給水を得ることができました。
奥池地区の簡易水道(当初は芦有開発の経営)を芦屋市の上水道に統合し、水源管理・施設管理・経営管理の一体化を行ないました。
震災発生直後の午前7時ころに、芦屋市の災害対策本部から、応急給水の方針決定が指示されました。地震により、芦屋市内の配水池(9か所・9池)は、地震発生後2時間30分から3時間30分で空になり、午前9時ころには全市域が断水状態となりました。17日午後から病院、一部避難所に応急給水を開始しました。なお、震災当初はポリ容器(18リットル)で水を配ることが唯一の方法でした。自己水源の奥山浄水場には、震災当初2,000立方メートルの水があり、更に応援各市町からの大型給水タンクの水も入れて、浄水場近くの消火栓から自衛隊等の給水車に補給することにしました。18日からは、全国の自治体、自衛隊、民間団体の応援により、ピーク時には62団体、128台の給水タンク車と329人の支援によって給水を行なうことができました。被災直後から、全国の自治体により復旧に対する応援申し入れがあり、1月19日の1自治体を第1陣として、計48自治体から復旧応援の協力を得て、震災2週間後の1月31日には、全市の約30%が復旧し、3週間後には約60%まで復旧しました。その後、倒壊家屋で復旧不可能な地域を除き、2月27日に応急復旧を完了し、通水率は約96%まで回復しました。
人口の増加と市域拡大のため、平成8年から計画目標年次平成22年に向けて、南芦屋浜地区の配水管整備、奥池浄水場の急速ろ過設備の増設、六麓荘に高区配水地の建設を実施してきました。また、老朽化した奥山浄水場の管理棟の建替とともに市内の水道施設をコントロールする計装設備の更新を行なってきました。
平成23年3月には、給水人口は計画給水人口94,400人に迫り、新たに計画給水人口98,600人、一日最大給水量41.800立方メートルに変更の届出を行ないました。
現在では計画目標年次を平成37年とし、老朽化施設の更新と水道施設の耐震化のため水道施設整備事業に取り組んでいます。これにより、安定した水源を確保し安心・安全でおいしい水道の供給を目指します。
創設事業 | 第1期拡張事業 | 第2期拡張事業 | |
---|---|---|---|
認可年月日 | 昭和10年3月 | 昭和14年10月 | 昭和31年9月 |
計画給水人口 | 50,000人 | 52,700人 | 75,000人 |
計画一日最大給水量 | 8,250立方メートル/日 | 8,700立方メートル/日 | 22,500立方メートル/日 |
事業費 | 917千円 | 80千円 | 108,317千円 |
主要施設 |
芦屋川取水えん堤 |
六麓荘浄水場(現在は廃止) 六麓荘貯水池(現在は廃止) 六麓荘配水池(現在は廃止) |
配水管 阪神水道企業団芦屋調整池 |
その他 | 昭和13年4月給水開始 | 六麓荘水道を統合 昭和20年8月阪神水道企業団から受水開始 |
岩園甲南団地配水管敷設 |
第3期拡張事業 | 第4期拡張事業 | 第5期拡張事業 | |
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認可年月日 | 昭和36年12月 | 昭和42年12月 | 昭和50年3月 |
計画給水人口 | 87,300人 | 87,300人 | 98,900人 |
計画一日最大給水量 | 38,000立方メートル/日 | 38,000立方メートル/日 | 45,800立方メートル/日 |
事業費 | 212,000千円 | 900,516千円 | 4,275,081千円 |
主要施設 | 最高区配水池 最高区揚水ポンプ設備 六麓荘貯水池(現在は廃止) 原水前処理施設(現在は廃止) 高座川浄水場(現在は廃止) 高座川配水池(現在は廃止) |
奥山貯水池 |
低区配水池 埋立地用送・配水管 |
その他 | 山芦屋専用水道を一部統合 | 昭和47年3月奥山貯水池完工 | 芦屋浜埋立地用送配水管敷設 |
第6期拡張事業 | 第7期拡張事業 | |
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認可年月日 | 昭和60年3月 | 平成24年4月(変更届出) |
計画給水人口 | 100,400人 | 98,600人 |
計画一日最大給水量 | 51,900立方メートル/日 | 41,800立方メートル/日 |
事業費 | 837,049千円 | 8,600,000千円 |
主要施設 | 奥池浄水場(統合) 第1工区配水池(統合) 第2工区配水池(統合) 第3工区配水池(統合) 第2工区中継ポンプ場 計装設備(奥池浄水場) 奥山浄水場計装設備更新 |
奥池浄水場増設 奥山浄水場増設(計装設備改良) 高座川送水ポンプ場 六麓荘高区配水池 第2最高区配水池 高座川配水池 配水管 |
その他 | 奥池簡易水道統合 | 南芦屋浜地区送配水管敷設 |