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更新日:2026年4月16日

富田砕花旧居(とみたさいかきゅうきょ)

芦屋市宮川町にある文化施設です。

富田砕花旧居の写真

 

富田砕花とは

富田砕花旧居とは

ご利用案内

展示のご案内

お知らせ

富田砕花賞について

 

展示のご案内

テーマ:砕花の「遺書」『万一の場合』より
    「長いこと有りがたかった、心からお礼を言う。」(富田砕花旧居の企画展)

富田砕花は、昭和59年10月17日夜、「ホーッ!気持ちいいんだよ」と言葉を残して亡くなりました。93歳でした。今回の展示は、親族の方に見せていただいた「遺書」からです。
封筒に「万一の場合開封のこと」と書かれた「遺書」には、文学への志が貫けたこと、友人に恵まれたことへの感謝、最後まで清貧の暮らしで居れたこと、そして死についての想いが描かれています。
富田砕花の老齢期の人物像を想像していただければと思い紹介します。
併せて、入退院を繰り返していた当時の心境を平易な言葉で述懐した短歌『玄々鈔』(昭和56年)より数首紹介します。

展示期間:令和8年9月27日(日曜日)まで

遺書本人写真

お知らせ

芦屋オープンガーデン2026

富田砕花は植物への愛情が深く、自宅の庭の草木や花を題材とした歌も多く残しています。また、四季折々さまざまな草花が育つ富田砕花旧居の庭は、施設の大きな魅力でもあります。4月下旬から5月上旬の緑が映える庭を、是非ともご堪能ください。

開催期間
2026年4月11日(土曜日)から4月15日(水曜日)
2026年5月13日(水曜日)から5月17日(日曜日)

縁側2外観

「富田砕花旧居パンフレット」を発刊しました

パンフレット

富田砕花旧居のパンフレットを刊行しました。「兵庫県文化の父」と称される詩人・富田砕花旧居の詩と歌や、旧居の魅力が詰まった内容です。下記の場所にて無料で配布しますので、ご覧いただくとともに、是非、富田砕花旧居へ足をお運びください。

配布場所:国際文化推進課、富田砕花旧居

 

富田砕花(とみたさいか)とは

 

富田砕花【プロフィール】

生年月日:明治23年11月15日

出身地:岩手県盛岡市

本名:戒治郎(かいじろう)

没年月日:昭和59年10月17日

【略歴】

明治41年に、与謝野鉄幹・晶子主催の新詩社『明星』にて筆名「砕花」で短歌を発表、大正4年には最初の詩集『末日頌』を出版する。その後は、民衆の生活や心を日常的な口語で表現する民衆詩派の詩人として著名になり、ウォルト・ホイットマンなどの詩の翻訳を通じて大正デモクラシー期の日本に欧米の民主主義の思想を紹介しました。戦後も、全国各地を旅し、多くの詩を残しています。中でも兵庫県下では、長編詩『兵庫讃歌』をはじめ、50余編にのぼる校歌や市町歌の作詞など、旺盛な詩作活動を行なったことから「兵庫県文化の父」とも称されています。

 

(1)富田砕花年譜(PDF:34KB)(別ウィンドウが開きます)

(2)校歌作詞一覧(PDF:57KB)(別ウィンドウが開きます)

(3)市町歌・社歌・民謡ほか作詞一覧(PDF:128KB)(別ウィンドウが開きます)

 

富田砕花(とみたさいか)旧居とは

室内から庭

富田砕花旧居は、富田砕花が昭和14年5月から、昭和59年10月17日に93歳で亡くなるまで暮らした場所です。また、昭和9年から11年には、谷崎潤一郎が三番目の妻、松子夫人とともに隠れ住んだ場所でもあります。
芦屋市では、富田砕花のご遺族から旧居とともに、砕花の蔵書・研究資料などを譲り受け、昭和62年より「富田砕花旧居」として一般公開するとともに、貴重な遺品や原稿などを展示しています。ここを訪れる方々が、建物のたたずまいや展示資料から、富田砕花の心を感じ取っていただければ幸いです。

ご利用案内

所在地:芦屋市宮川町4番12号

開館日:水曜日及び日曜日(ただし、8月13日~19日、12月29日~1月3日を除く)

ただし、台風等、天候の影響により急遽休館する場合もあります。

開館時間:午前10時~午後4時(入館は3時まで)

入館料:無料

アクセス:阪神芦屋駅より東へ徒歩15分、阪神打出駅より西へ徒歩10分、JR芦屋駅より南へ徒歩15分

お問い合わせ

国際文化推進室国際文化推進課文化推進係

電話番号:0797-38-2115

ファクス番号:0797-38-2072

お問い合わせフォーム(外部サイトへリンク)(別ウィンドウが開きます)

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