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更新日:2016年11月2日

芦屋 思い出写真館【芦屋の交通 うつりかわり(自動車・道路編)】

【人力車】
日本人の世界的大発明といわれ、明治3年登場した人力車は、乗り心地がよくてハイカラで、日本中に人力車フィーバーを起こしました。
芦屋でも大正3年には20台の人力車がありましたが、その後自動車の増加などで減少しました。
【自動車】
昭和初期、国道の開通やバスの運行によって交通機関が発達し、道路整備も行われるようになりました。大正3年には4台だった自動車の数も、昭和6年には94台に増加し、貨物自動車も15台となりました。
【阪神国道(国道2号)】
昭和初期の阪神国道沿いには商店がならび、珍しい蓄音機店もあって「酒は涙かため息か」などの流行歌が大きな音で流れていました。まだ自動車の数も少なく、魚崎や御影の酒造会社が酒造り用の宮水を積んで荷を引く牛や馬が、ユーモラスな姿で往来する風景も見られました。やがて交通機関の発達により、国道43号開通の昭和38年には3万台、44年には4万台の交通量を数えるようになりました。
【第2阪神国道(国道43号)】
昭和30年代になって阪神間の交通網はいたるところで渋滞をおこし、阪神国道の交通容量ではまかないきれないので、10万台を収容できる大交通動脈として、第2阪神国道の工事が着手され、昭和35年には市域内における貫通を実現し、38年1月に開通しました。
【芦有道路】
表六甲から裏六甲へ観光資源の開発と産業交通の発達を目的に、昭和34年から2年の歳月を経て36年に全線開通しました。

(写真をクリックすると大きなものがご覧いただけます。)

芦屋川と人力車(大正初期)
芦屋川と人力車(大正初期)

開森橋付近(大正初期)
開森橋付近(大正初期)

芦屋遊園を走るタクシー(大正時代)
芦屋遊園を走るタクシー(大正時代)

市内を走る外車(昭和初期)
市内を走る外車(昭和初期)

名神高速バス芦屋に停車(昭和40年)
名神高速バス芦屋に停車(昭和40年)

ボンネットバス・大正橋(昭和40年)
ボンネットバス・大正橋(昭和40年)

阪神国道〈国道2号〉(昭和初期)
阪神国道〈国道2号〉(昭和初期)

自動車と並走する阪神国道電車〈国道2号〉(昭和35年)
自動車と並走する阪神国道電車
〈国道2号〉(昭和35年)

開通後の第2阪神国道〈国道43号〉
開通後の第2阪神国道〈国道43号〉
(昭和40年)

阪神高速道路建設工事
阪神高速道路建設工事

芦有トンネル工事(昭和35年ごろ)
芦有トンネル工事(昭和35年ごろ)

芦有道路開通式
芦有道路開通式

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