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更新日:2016年11月4日
芦屋市では、新市を発足して1年、市の事業もようやく軌道に乗ってきた時に太平洋戦争へと突入し、戦時体制のもとに市の自治制も失われていきました。戦争犠牲者が急増するにつれ、銃後奉公会・男女青年団などとともに婦人会・大日本国防婦人会もまた出征軍人や遺族への慰問、送迎、慰安会、勤労奉仕、国防演習の活動を行ないました。
昭和20年5月11日に第1回の空襲を受け、6月、8月と相次いで攻撃を受けました。とくに1,500発もの焼夷弾が落とされた8月の5日夜半~6日未明にかけての被害がもっとも大きいものでした。罹災者は総人口の5割、家屋は総戸数の4割、学校は校舎の8割を失い、8月15日に終戦を迎えました。
今年は戦後70年の節目を迎えます。戦争を経験した世代が少なくなる中で、この節目の年に改めて平和の尊さ・命の大切さ・人権の尊重について考えながら、当時の芦屋市内のようすを振り返ります。
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![]() 戦時下の運動会(山手小学校) |
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