ホーム > 市政 > 広報 > 芦屋ギャラリー【芦屋市公式インスタグラム】【思い出写真館】 > 芦屋思い出写真館 > 芦屋 思い出写真館【まちづくり開発のうつりかわり】
ここから本文です。
更新日:2016年11月2日
耕地整理の実施や交通の発達により住宅建設が進み、芦屋川の山手や宮川上流の丘陵地まで、広壮な住宅街が形成されました。
六麓荘では“東洋一の健康地”をキャッチフレーズに住宅地建設が進み、上・下水道、ガス、電気線、電話線も地下配線工事による画期的な試みがなされました。
戦後の住宅難を解消するためいち早く公営住宅を建設し、昭和20年以降は木造・簡易耐火・テラスハウス・中層住宅へと作りが変化していきました。
昭和30年代になると甲南団地の宅地造成や北部土地区画整理事業として朝日ケ丘・東山・東芦屋・山手の4町の開発が始まりました。
市北部の山地は、昭和36年芦有ドライブウェイの開通により、39年奥池町の開発・41年奥池ハイランドの開発と緑豊かで静かな住宅別荘地として発展してきました。
また、芦屋浜住宅団地は昭和36年ころから構想が練られ、44年造成工事が着工、50年に造成が完成し54年に高層住宅への入居がはじまりました。
(写真をクリックすると大きなものがご覧いただけます。)
(注意)無断転載はご遠慮ください