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更新日:2018年10月30日

澤村太郎(さわむら・たろう)

温厚で気さくなリーダー「太郎さん」

経歴

澤村太郎芦屋市のスポーツ界の発展に尽くした人物の一人に澤村太郎がいる。
2013(平成25)年の夏に86歳で他界したが、澤村は芦屋市スポーツ界のリーダーとして、あまり表面には出ず、縁の下的存在で支えた。エリートスポーツだけでなく、市民を対象にした生涯スポーツに力を注いだことも大きい。
芦屋市だけにとどまらず、長年、教育畑を歩き、広く兵庫県内に存在感を示した。

 

 

芦屋市への思い入れ戦時中・戦後の動乱期

温厚な人柄。加えて磊落(らいらく)な一面もあった。相談されたり、頼まれ事をすると、「イヤ」ということが言えず、引き受けてしまう。澤村が生前受けていた社会活動の役職を紹介すると、10本の指では足りず、スペースの都合もあるので、まず芦屋市に限って紹介してみよう。
振り出しは、1987(昭和62)年の芦屋市スポーツ振興(現在は推進)審議会委員、1990(平成2)年に芦屋市体育指導委員(現在はスポーツ推進委員)会会長、同レクリエーションスポーツ協会会長、同健康ダンベル体操クラブ会長、同クォーターテニス協会会長、1992(平成4)年から芦屋市スポーツ振興審議会会長に。スポーツの他、1991(平成3)年に芦屋市生涯学習推進懇話会委員、同福祉推進委員会委員、1992年(平成4)から芦屋市教育審議会委員、1994(平成6)年には(財)芦屋市文化振興財団理事・精算人(2005/平成17年3月解散)等々である。
他にも芦屋市のほか、多くの教育関係や社会活動の肩書を持っていたが、なぜそこまで芦屋市に。それは澤村の本籍地が芦屋市だからだ。阪神・淡路大震災までは芦屋市前田町に住んでいた。大震災で被災に遭った後に、伊丹市に移り住むようになった。
生まれは大阪市。1927(昭和2)年に生を受けた。生家は綿布商をしており、澤村も家業の思い入れか、大阪貿易学校(現・開明中学校・高等学校)へ。旧制中学校時代は運動神経の良さが当時の教官の目に留まり、運動に熱中し、馬術部に引っ張られたりした。
卒業後、進学先に選んだのは日本体育専門学校(現・日本体育大学)だ。時は戦時中、日本体育専門学校は「私立の士官学校」と呼ばれていた。澤村は大空を羽ばたく飛行機に憧れたのか、航空科へ。ところが、羽田飛行場で”二枚羽根”と言っていた複葉機の操縦桿を3時間だけ握っただけで戦争は終わった。
終戦後の1947(昭和22)年3月に卒業後、母校の大阪貿易学校で教諭としてのスタートを切った。1年後に尼崎市の中外商業高等学校(現・尼崎北高等学校)へ。この時期に関西大学商学部に入り、1952(昭和27)年3月に卒業した。いわば教師と学生の”二役”で、受け持った授業の合い間を見ては大学に通った。戦後の良き時代というのか、のんびりした時代で、教壇に立っていた大阪貿易学校、中外商業高等学校から進学していた教え子らに「ノートを借りたり助けられた」と言って笑っていた。

終戦の日の思い出をつづる

大学卒業後の活動を紹介する前に、澤村が日本体育専門学校で終戦を迎えた日、つまり1945(昭和20)年8月15日に何を思ったか、をつづった内容をお披露目したい。
題名は『終戦の日を思い出しながら』。「昭和20年8月15日(水曜日)、当時寮に残っていた同級生は10人前後だったと思います。7月末に染野先生に呼ばれ「機関車の運転手が居ないので、1年生10人程連れて隊長で品川機関区へ行ってくれ」と言われ、翌日からSLの運転訓練をうけ、機関士として東海道線や日本鋼管内の貨物運びに汗を流している時でした。広島、長崎に特殊爆弾が落ちたので、白い服装で来るよう命ぜられ、白い衣類等なく、ほとんどの者が服の上に柔道衣を着て熱射病になるような状態で運転していた事を思い出します。
当日は早い目に運転を終わり、正午前に機関区に集められ玉音放送を聞いたが、雑音が激しく、かすかにポツダム宣言受諾。絶え難きを絶え…だけが聞こえました。多くの1年生は何の放送かわからず、放送内容を聞かれ”多分、ポツダム宣言を受け入れたので、日本は敗けたんや”と疑心暗鬼で答えたことでした。
放送終了後、機関区長から”戦争が終わったので、日本体育専門学校の生徒は学校で待機するよう”言われ、三々五々それぞれの寮へ帰りました。私はだれと一緒だったか思い出せないが、二人でもう二度と見る事もないと思った。二重橋を拝みに行き、放送を聞いてかけつけた多くの国民の中で、そこにあった小石を一握りポケットに入れ、ゴッタ返す人の中を省線(現・JR)・玉電と乗り継ぎ寮に辿り着きました。
寮では衛材の連中が居り、将校等がトラックで物を持ち出していると聞き皆で衛材まで行なったが、目ぼしいものは全然なく、体温計50本持って帰り、1本5円で売り歩き、生活の足し?にしたのを覚えています。
これから学校はどうなるのか、家は焼けてないのとちがうか、家まで帰れるのか、敵が来たら捕虜になって働かされるのでは等、いろいろ不安を話しながら、南京虫も一緒に寝たようです。最後に、もう二度と戦争も地震もいらない。地球からなくなることを祈っている」。(句読点のほかは原文のまま。旧仮名遣いでつづってある)
澤村の青春時代は戦火の際中で学徒動員に駆り出され、勉学どころではなかった様子で、「戦争を起こすべきでない」と結論付けている。

教職と併せ社会活動に尽くす

戦後、教職へ身を投じ、平和を感じながら学生生活をも体験した澤村は、生涯を教育界で過ごした。併せて長かったのが陸上競技との関わりだ。1963~75(昭和38~50)年の間、兵庫県陸上競技協会の理事長を任され、1950(昭和26)年から教べんを執った兵庫県立尼崎高等学校の在籍が長かったこともあって、尼崎市陸上競技協会会長も務めた。
澤村が芦屋市レクリエーションスポーツ(通称:レクスポ)協会会長として、2001(平成13)年初めの芦屋市グラウンド・ゴルフ協会会報に寄せた年頭会のあいさつの中で、「(前略)以前から、今世紀は(文化とスポーツの時代)になり、人々は意識的に頭と身体を使わなければならない時代になると言われてきました。それを裏付けするように、生涯スポーツに対するニーズが高まり、400種目以上が国内で行われています」から始まり、「その一つにグラウンド・ゴルフがあり、1982(昭和57)年に考案されて以来、急速な勢いで全国的スポーツとなりました」(中略)「グラウンド・ゴルフは競技スポーツと生涯スポーツとの両面を持ち合わせ、その中にスポーツマンとしてのマナーを重視され、自らの身体面や精神面を向上させ、豊かな人生を送ることができる目的とした〈エンリッチ・スポーツ〉としての特性を持っている所に良さがあります」「会員の皆さまも健康づくり、コミュニケーション、地域づくり等を目的に合った方法で親しみ、楽しみながら長く続けられることを願っています」(以下、略)と、つづられている。
教育畑でのエピソードを一つ。阪神間の高校校長の在籍中での話。職員会議で討議されたのが「君が代、日の丸」についてだ。ほとんどの教師が反対論を。校長の澤村は黙って意見を聞いていた。かなりの時間が経ったころ、澤村が口を開いた。
「私はね、五輪に出たかった。だけど私らの学生時代は戦時中でスポーツどころではなく、五輪なんて夢のまた夢。でも、五輪の代表になって、表彰式で日の丸を掲げ、君が代を聞きたかった。少年のころからの夢だったんです」と、静かな口調で話したのだ。澤村が少年時代から思い続けていた夢物語に、今度は他の教師らが耳を傾けた。「私の思いが皆さんに伝わったのか、うなずいてくれて」と澤村。すんなりいったのが卒業式での日の丸掲揚と、君が代斉唱だった。そのための討議だったのだ。
晩年、力こぶを入れたのがマスターズ陸上である。兵庫マスターズ陸上競技連盟会長を務め、2003(平成13)年からは近畿マスターズ陸上競技連合副会長も兼任した。自らも100mや走り幅跳びにも出場して「生涯スポーツはマスターズ陸上だけでなく、数多くのニュースポーツが出てきている。いずれも楽しみながら長く続けることが一番だ。お互い出場者同士が交流を深め、『大会だけでなく、ここに来たらあの人と会える』という楽しみの場になればいい」と話していた。
ちなみにマスターズ陸上は1978(昭和53)年1月に和歌山で産声をあげ、2年後に国内初のマスターズ連合が発足した。すべての種目が5歳刻みで行われ、5年ごとに目標記録を設定できる。兵庫県内では1993(平成5)年に第14回全日本マスターズ陸上競技選手権(神戸市)、1998(平成10)年に第4回世界ロード選手権を明石海峡大橋周辺で行なった。
先述したように県立高校保健体育教諭などを経て、兵庫県教育委員会で体育保健課副課長、県立スポーツ会館館長など歴任。レクリエーションについては芦屋市レクリエーションスポーツ協会だけでなく、兵庫県レクリエーション協会会長も務めた。先に述べたように、あらゆる要職の紹介は割愛させていただくが、”人の和”をモットーに、何をするにも”まとめ役”がぴったりの人だった。兵庫県立西宮南高等学校校長を最後に定年。その後は武庫川女子大学教授なども務めた。「ヨーロッパの体育・スポーツ」ほかの著書がある。

(文責:元神戸新聞社運動部長・力武敏昌)

澤村太郎『温厚で気さくなリーダー「太郎さん」』(PDF:279KB)(別ウィンドウが開きます)

 

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