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更新日:2014年12月5日
第2回研修会の記録の続き
地域福祉計画策定に至る国の福祉施策の大きな流れはどういうものだったか見ていきます。レジュメは大きく5つに分かれていますが、どういう傾向があるかと言うことを具体的な計画の名前を挙げて説明しています。
計画というのは、最初国の仕事でした。都道府県や市町村は関係ありませんでした。国が決めて、予算をつけて、法律をつくって、施行しなさいという組織をつくってやってきたわけです。ということは、計画をつくるのはどこかの偉い人であり、私たちはその下で動くだけでした。しかしそんなことをやっていたら、さっきのODAのようなことになっちゃったわけです。
もとをただせば、私たちのお金、税金です。国の偉い人のお金とは違います。市役所と民間の関係でいうと、市民団体が市役所のかたに「こういう活動に助成してください」と言いますね。職員の中には税金を自分のお金だと思っている人もいます。「君の金やないやろ、私たち市民のお金やで」ということを忘れている人がいます。 こうなると、私たちがしっかりしないといけません。
話を戻しますと、最初は国がやっていた計画が、だんだん都道府県の方におりてきます。それが2つ目の「新経済社会7ヵ年計画」で、大阪、神戸、神奈川、京都がつくり始めます。つまり、都道府県が福祉の計画づくりをし始めます。市町村ではまだ、神戸市のような政令指定都市や大きな都市だけでした。
次の「高齢者保健福祉10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」は、ある意味画期的なものでした。今の介護保険計画の前身となるものです。「市町村が全部つくれ」という義務が課されました。これまで計画をつくったこともない市町村に策定能力があるのかという心配もありましたが、とにかく強行したんですね。社会福祉の法律も一部変えました。ちょうどそのときは、ホームヘルパー7万人、在宅介護支援センターを中学校区に1つ、全国に1万ヶ所つくるんだと上から命令が下りてきたわけです。一生懸命つくった市町村もあれば、言われたから適当につくったところ、つくらなきゃお金くれないからつくったところといろいろありました。ひどいところでは、マスコミでも問題になったように、コンサルタントに全部丸投げしていました。「芦屋市」「○○市」などと名前を変えるだけで、他と同じ計画ができてしまう。コンサルは平均すると1000万円ほど報酬をもらったんですね。名前を変えるだけで1000万円ですよ。バカにしてるんじゃないかという感じです。
しかし、無理やりつくったことが今日、地域福祉計画を市民の力でつくろうという流れにつながってきたわけです。つまり、計画づくりが市町村に下りてきました。そして、福祉の3プランと呼ばれる高齢者のプラン、障がい者のプラン、エンゼルプランと言う児童・家庭を含めたプランができるわけです。もう1つ、ゴールドプランが1つのきっかけですが、市町村が計画をつくるときは、市民の皆さんの声を聞いてつくりなさいということになりました。ゴールドプランのときは付帯事項で、配慮しなさいという文言が「引っ付く」だけでしたので、市民参画はそんなに多くなかった。老人クラブとか介護者の会とかは多少入っていましたが、今のように市民公募などはありませんでした。
それが介護保険になりますと、保険料を徴収しないといけない。40歳以上の人が被保険者になりますから、市民公募で入っていただこうということになりました。これが、今の市民参加・住民参加に具体的な先鞭をつけて行ったと言ってもいいかもしれません。障がい者団体ですと、視覚障がいのかた、聴覚障がいのかた、肢体不自由のかた、精神障がいのかた、それぞれが入っていただいてつくっていきます。課題はいろいろありますが、当事者が参加しようということです。
そして、地域福祉計画では、計画自体をこれからどんな方向に持っていったらいいのかは、「あらゆる住民・市民が関心を持ってやっていこう。我がまちの福祉を方向づけていこう」という考え方になっています。当事者参加の集大成ですね。
市民会議でいろいろと意見を出していただきましたが、「あれはいったい、どうなってるのか」「市役所は、ほんまにやってくれるんだろうか」「アリバイで『市民の声聞きました』ってなるんじゃないか」「棚の上でほこりかぶっているだけじゃないか」と心配になったりしませんか?計画の今後はみなさんが「これから先も続けてほしい」という関心を持つかどうかにかかっています。「やっとつくった。やったぞ」で終わりではなく、つくったところが出発点、スタートラインです。もっと良くするためには、「具体的にどんなふうにやったらいいか」ということを次の段階で考えないといけない。市役所は市役所でせっかく意見をいただいたんだから、それを本当に施策につなげられるもの、実現できるものにする。たぶん総合福祉センターは時間がかかると思います。でも「ここまで来た以上は、センターづくりをやっぱり計画の中に入れよう」と、入れるための声を広げていかなければならない。これも一応、市民委員の皆さんの30票を獲得しているわけです。でも、この30人では芦屋市全体を代表しているわけではない。やる気がなかったらそういうでしょう。「そんなことはないよ、私が1人1000人分よ。」と言って、楠正成みたいに、1人で4、5人分のはりぼてを担がないと。それは冗談ですが、そういう声をちゃんと出して言える人が集まっていただいたと思います。これをもっとみんなの声にしていく努力を怠らない。これから、計画策定していく中で、関心を持っていただくことが必要ですし、折々に触れて、それについて提案することが大事です。
市民会議をしても、参加できる人数は限られるじゃないですか。これからいろいろ、フォーラムなどもされると思います。不特定多数の人に来ていただいて、公民館でパネルディスカッションして関心を持っていただく。そのときにアンケートして意見を聞こうという計画はないですか?あるとしますね。そうやっても、全部の意見をとれているわけじゃない。一定年齢の高い人しかこういうことに関心を持ってもらえない。若い人の関心を高めるにはどうしますか?インターネットのホームページで電子会議を開いて、アクセスできるようにしてみるという方法もあります。しかし、大阪市では270万円かけてつくった電子ネットで回答してくれたのは102人だけでした。泣きたくなります。でもそんなもんです。1000人位になると、「若い人も関心持ってるよ、この芽を大事に」と職員がいえます。職員の中にも、「もうどうでもいいや」という人もいますし、やはり「自分の力は非力だけど、芦屋をよくしたい、芦屋の福祉を高めていきたい」という人もいます。そういう人たちを勇気付けてあげないと進まないのです。市民会議とはそういうものだと思います。お互いに車の両輪です。そういう取り組みが大事で、そういうのが市民参加だと思います。
社会福祉法の中に「市町村が地域福祉計画をつくることができますよ」という法律の文言がなければ、計画策定になかなか取り組めないのは確かでしょう。もちろん、それがなくても取り組んだ市町村は全国にあります。首長さんがやる気があるとか、職員の中で思い入れが強い人がいて、部長や助役を動かしているところもあります。そういう人は市役所の中で変わり者と言われている。でも、そういう人はいろいろなんでも聞いてくれるし、市民にとっては有り難いわけです。市役所も1つの組織であり、生き物なんです。やはり、人が動かしている。そういう人を見つけて、一緒になってやっていく。市民もそうです。たまたま、これだけの人が思いを1つにして集まってきたわけですが、みんながみんな同じじゃない。同じじゃないのが普通だと思う。みんなが同じ考えだというのはおかしいですよね。無理やりそうさせると、どっかの国みたいになっちゃう。やはり違う考え方や違う思いを持っている人がいることを認め合って、一緒に形にしていこうというのが、ごくごく普通の姿だと思います。市民は市民の立場で、アイデアを出し、地域や現場の様子を職員にも分かってもらう。また市政の現状を市民に分かってもらうことは、職員の励みにもなる。市の職員もいろいろ愚痴を言いたい。