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更新日:2014年12月5日

資料編【第2回研修会の記録7】

第3章資料編の続き

第2回研修会の記録の続き

(7)地域福祉計画策定後の自治体行政への影響

最後は、こういう施策がどんなふうに影響を与えるのか、地域福祉計画を策定した後、行政自体がどのように変わっていくかをちゃんと見なければなりません。特に、社協(社会福祉協議会)の役割も重要です。社協にはNPOやボランティア団体をうまくつないでいくという役割が、今後問われてくるでしょう。それが芦屋の底力になるかどうかです。今、私たちがやらなきゃ次の世代がどんどんやらなくなる。自治会・町内会もだんだんしぼんでいく。社協もしぼんでいく。NPOは大きくなるかもしれんけど、どこへ行くか分からなくなる。これでは困るわけです。これをきっかけに、それぞれの部分がお互いに重なりながら、どのようにできるだろうか、どこまで計画によって進んだかを見ていかなければなりません。

計画は1つの道具です。私たちのまちが福祉のまちになるように、5年先、10年先の道具にしたい。道具は使わないとさびちゃう。のこぎりだって、カンナだって大工さんは大事にしますね。料理人は包丁、まな板を丁寧に扱う。道具は大事です。道具をちゃんとしないといいものはできない。是非とも地域福祉計画を芦屋のまちを良くするために、いい道具にしてほしいと思います。では、後の1時間はディスカッションにしましょうか。

事務局:今日も村役場の話をされていましたけど、なるほど昔の村役場の人は、きっと市民の方に身近にいたんだろうなと思います。

お時間をいただいているので、みなさんに一言いただきたいと思います。

社協職員:いつも社協職員としてはここで辛い思いをしています。社協は弱いと言われていますが、それなりに実施計画を立てたり、いろいろやっております。けれども、それがどうしても市民のかたに見えない。私が入った頃から言われ続けていることです。県のレベルに行っても同じようなことをみな言っていますけど、「市民のかたにとって社協ってなんやろ」と延々と言われ続けている。それをなんとかしたいといろいろ活動しております。私たちも地域で地区を担当するようになって、外に出てはいますが、人と人とのつながりがいまだされていない。どうしても希薄で、外に出てはいるけれど、社協がやりたいことを言って帰ってくるだけで、地域のかたが望んでおられたことを持って帰ってきて、社協の活動に反映するという仕組みになかなかなっていない。

市民:社協を応援するわけじゃないけど、福祉推進委員になり10年目なんです。10年経ってやっとやり方が分かって、自分からも積極的に入れるようになったと思います。今回も参加させていただいて、とくに積極性に磨きがかかりすぎて、今毎日が忙しいです。社協のイベントなどにいろいろと積極的に参加しすぎて体がついていかなくなっています。ちょっとやりすぎなんですが、市民会議に参加させていただいて、本当に積極的になれたことは事実です。どうもありがとうございました。

事務局:地域で地区を担当するようになったとおしゃってましたよね。さっきの先生のお話のように、行政の職員もいろんな地域に出て行ってコーディネーターの役割をすることがあってもいいのかなと。たぶん社協さんも同じことだと思います。地域福祉ですから、福祉が現実的なものになっていくためにも地域の拠点は欲しいなと思います。

社協職員:場所をしっかり持っている地域はやりやすい。場所が必ずあるとは限らないから、高齢者の集い1つでも、やれる地域とやれない地域がある。例えば、43号線より南の地域のかたは市民会館まで来るだけで大変なんですよね。地域の人が集まりやすい場所がいくつかあればすごくやりやすい。残念ながら、芦屋では、市民会館が唯一の、かなりたくさんの人が来れる場所です。

事務局:地域の人が集まる場所は、そんな大きなところじゃなくてもいいですよね。

社協職員:それと、集まって気軽に話し合えるような仕組みがなかなかない。仕掛けをしないと集まっていただけない。宝塚市の中山台の話を聞いたんですけれど、いつも誰かがいるという状況ができているのはすごい。そういう場所を持っておられるのもすごい。社協職員がべったりいるわけじゃなくて、地域の人たちが自分の手でやっておられる。その仕組みをつくり上げたのがすごい。芦屋はそこまでは及ばないけれど、目指すところはそこかなと思う。

牧里:拠点というのは、自分たちでつくるものだと思うんですよ。今の中山台とか長尾地区とかは、やっぱりそういう場所があったから見つけて、または「獲得しようや」という動きが始まって、自分たちでつくった。だから、市民が自分たちのものとして「じゃあ電話番は私たちがしましょう」ということになるわけです。市役所がつくったり、社協さんが用意すると、どうしても「管理」になる。「何時から何時まで登録してください」という形になる。やっぱり自分たちでつくるべきです。長田の真野地区という公害反対運動に立ち上がったまちがある。そこで、年に数回まちづくり祭りをやる。全国から建築家も福祉活動をやっている人も集まってきて泊るんです、集会所に布団を借りて。デイサービスセンターも宿舎に変わるわけ。普通はそんなことは許されない。だけどそれは実績です。自主管理がちゃんとできている。昔の村の集会所はみんなそうでした。交代でだれかがボランティアで見張りをやっているから、気の毒だからって一升瓶置いて「これで夜中過ごしてください」ってね。

軟弱な子がいると、「ちょっとうちに来なさい」とか言って、夏休みに1ヶ月くらい預かるわけです。するとひ弱だった子がしゃきっと帰ってくる。子育てを村でやっている。肝試しをしたり、滝に飛び込んだりして、今まで「お母さんお母さん」って言ってた子が、「これからお母さんの面倒は僕が見ます」と変わるわけ。そういう伝統がありましたよね。そういうものを自分たちでつくった。

京都は小学校区が強い歴史的背景があるといわれています。なぜかというと、小学校を自分たちでお金出してつくってきたからです。全国的に古い小学校区があるところは、その村の人やまちの人がお金を出している。いい学校をつくったらいい先生が来るからです。それがまちづくりであり、私たちの後継者を学校がつくってくれるから、親たちが腐心したり何かをするのは当たり前だった。今は全然違ってきましたね。PTAに行っても、「あの先生、○○大出身やってね。大した先生とちゃうわね。偏差値低いし」となる。そりゃ学級崩壊します。先生も先生だけど、親たちが先生を守らない。このまま放っておいたら日本は崩壊します。自由と言えば自由で、芦屋が嫌だと思ったら、神戸に住むこともできます。でも、やはり芦屋がいいなと思って選んだんだから、それをもっと幅のあるもの、豊かなものにしようという思いを持っている人を1人でも見つけて、そういう拠点をつくりたいですよね。私の住んでいる豊中の原田という小さなまちは、集会所は民家ですよ。個人の家です。個人の家だから24時間365日いつだって住民集会ができる。人数制限はありますけどね。一軒家やから最大で多く入って25人かな。

そこは高齢者ご夫妻が2人住んでおられた。自分ちで、ガレージから座敷まで行くのにリフトをつけておられた。それで「あそこ、ミニデイサービスのセンターにしたらいいよな」という案が出た。そして、お2人が亡くなって、娘さんに「貸してください」とお願いして使うことになった。あつかましいでしょ?あつかましい民生委員さんが1人いたんですよ。「幼稚園の空き教室がいいかな?お寺がいいかな?」とあちこち考えて、たまたまそこが空いていた。その娘さんがたまたま市社協で車の運転ボランティアをしているということがわかった。「もう少し押したらいけるで」と言うので、頼んだら貸してくれたんです。無料で貸してもらうのは気の毒やから、私たちはせめて固定資産税は払いたい。でもお金がない。考えた挙句、減免してもらおうということになって、私らが声を上げた。いろんな手をかけてやりましたよ。議員に言ってもらったり、広報の新春企画で、市長さんに「いいことしてるね」と言わせて文字にして載せる。そうすると、議員さんも言いやすい。「市長さんがいいことしてると言っているのに、なにもしないの?」と言って。それでも「そんなんあちこちでできたらどうしまんねん」と言って抵抗するんです。その場合は「モデルケースや」と言います。「これからは民間の空き家や空き工場、空き店舗とかたくさんあるから、それを活用せんといかんのちゃう?」とか言って。

豊中もね、社会福祉センターがないんですよ。あるけど、おんぼろでね。大会があるとわざわざそこでやるんです。ここの部屋よりちょっと大きいくらいです。400~500人の人が来たら座る場所もない。タバコ吸うところもない。市長さんもタバコ吸うんですが、控え室をつくらないから、路上で吸うことになる。「ほうら狭いでしょ」というアピールです。すると「よう分かった。考える。でもお金がないから今はできない」ということになった。10年かかって一応、病院跡地をゲットして、建てることになりそうなんです。あの手この手で民家を借りて、集会やってるんですよ。そういうのは説得力がある。「つくれつくれ」だけ言うんじゃなくて、「こんなにやってるのになんでそんなに冷たいの?」って言える。やはり市民の力です。市民の力と言うより、女性の力なんですけどね。主役は女性。泣き落としたのも民生委員さんも女性。「あつかましい」というのは「思い」や「願い」をちゃんとストレートに言えるかどうかなんですが、男は「こんなん言うたら差しさわるかな」「自分の出世にひびくかな」といろいろ考えてしまって、言いたくても言えない。そう考えると、女性はいいですね。女性パワーで拠点づくりをやる。

拠点はないわけではなくて、あると思う。むしろ、逆に、市の集会所で小さいのがあれば、それをもっと活用するべきです。たいてい、どこも今は9時から17時までで役所と同じやり方でしょ。お葬式のときしか使えなかったり。で、お金がないから習い事ばっかりやるわけ。市民の集いができない。やり方を間違っているわけです。拠点はつくられるのではなく、つくっていくものです。つくっていく者が中身を作り出していく。立派な会館ができたけど、9時から17時までしかやってないところと、雨漏りするけどなんとなく誰かが来てくれて修理してくれるところのどっちがいいでしょうね。そういうところをもっと見つけていく。これは社協の役割ですよ、あつかましくなってね。拠点があったら使ってあげて、社協で「なんとか提供センター」とか名づければいいわけですよ。

市民:今日、先生が言われた「人間関係がまちづくりの鍵だ」ということは、本当にそのとおりだと思います。今回、小学生の子どもの見守り隊を始めたんですけど、なかなか弱いんですよ。結局人間関係が難しい。月1回の集まりでも、子どもも大人も同じ扱いして、お茶出すならお茶、みかんだすならみかんと全員に出す。あるいは、防災訓練や火災の消火訓練でも、子どももみんなどんどん来れるようにする。子どもが来ても、大人と同じようになっていろんなことをする習慣をつけたら、最近はずいぶん子どもが出てくるようになったんですけどね。要するに、大事なことは、子どもがみな出てきて、大人もみな出てきて、大人も子どもも一緒に何かをやることです。すると「あの子はあそこの子か」「あそこの家の子か」「あそこのおじさんか」と言う感じで大人も子どもを知り、子どもも大人を知ってくれる。そういう時間を作ることで、みんなが出やすくなってくるんです。今までは、餅つき大会とかでも、出てくる人が決まっていた。

うちの地域には今400坪ほどの芝生があるので、こんど植え替えるときはみんなで種を植えようと考えています。種をまく日を決めて、家族連れで全員来てもらって、この日は一緒にご飯食べて、おやつ食べてもらう。日本では芝生は踏んだらだめって言うけど、踏んだ方がいいんですね。踏んだ方が強くなる。元気になるそうです。なんとか子どもが入ってもいい芝生がないかって、みんなで探し回って、いろいろわかってきました。4月頃になって芝生が育ちやすい環境になったら、イベントをしたいと考えています。まずつながることです。それからしか、ものごとはできないのではないと感じています。

牧里:とても大事なことをおっしゃっていると思う。今までの市民活動や地域活動を見直さないとだめなんです。極端な言い方をすると、まず組織をつくって、上から下へ下ろしていくというやり方が、たぶんだめになってきている。自治会も社協もどちらかと言うとそういう傾向がある。そうじゃなくて、まず活動をつくっていく。今おっしゃったように、何かイベントやプログラムをやる。それをやるために組織がいる。そして組織ができるわけです。そういうものをどんどんつくっていかなければならない。組織をつくったら、それが勝手に動くとかそういうものではない。

例えば、子どもの事件が多いので、見守り隊をつくる。でも見守り隊つくってもなかなか人が来ない。組織づくりから始めると参加者がないんです。「なんでそんな面倒くさいことやるねん」って。それより、お年寄りが朝、散歩するよね。それを1人じゃなくて、2、3人でやる。そして、登校するコースの逆を行く。または、低学年が帰る時間帯に、奥さまが買い物に行くコースを選んでやる。ウォーキンググループも、ウォーキング見守り隊にする。元々は自分たちの健康や買い物のためなんだけど、それは結局、子どもたちを見守っていることになる。それらをちゃんと組織にして自治体がバックアップする。そうすると、「あそこのまちは、お年寄りや奥さまがたがうろついているから、ちょっと事件起こしにくいな」となる。役所が杓子定規に考えて動くのは仕方ないけど、市民までそんな風に考える必要はない。たまたま「こういうことをやりたい」「それをやりたい」というのを結びつけるとこうなった。その入れ物として組織をつくるとやりやすい。勝手にやってると、「あのおじさんたち、何してるんや」と思われるけど、「これは社協の子どもたち見守り隊ですよ」というと、みんな「そうなんや」と納得する。その説明を社協がやってあげるんです。市役所はそれにちょっとお金を出してあげる。「おぉ、市役所の公認かいな」となるわけです。

市民:この会議に来たら、自治会とか民生委員のかたがたくさんいらっしゃる。近所に民家でデイサービスとか宅老所とかやっているチラシを見たんですけど、誰がやってらっしゃるのか私も知らない。また、NPOで育児サービスをやっているところが新しくできたというチラシを保育園で見せてもらった。私としては、そういう所の人がこの市民会議に来るイメージがあって参加しました。でも、あまりそういう人がいらっしゃらない。なんでだろう。そういうかたの拠点というか、そういうかたが集える場所が分からない。ご存知のかたいらっしゃいますか?

牧里:僕も芦屋について詳しくは知らないけど、たぶんそういうことやっているところはいくつかある。やりたいと思っている人もいる。これって見える形にしないと分からない。でも、これもいろんな人がいて、見えない分だけ悪いやつもいるわけ。いい人と悪い人をどこで見分けるのかというと、そういった人が集まってガラス張りにすることです。「うちはこういう思いでこんなことをやっているんだ」と情報交換できるようなところに加わっている団体と、そうでない団体があります。

虐待が問題になるようなベビーホテルがそうですが、悪いところは孤立してるわけ。そうじゃなくて、「市民が参加してやらなきゃいけない」「広げなければならない」というところは、情報交換もしているし、ネットワークの中に入っている。「誰でも来ていいよ」となるし、それを見て「私もやりたい」「支えてね」となる。それを市役所や社協が見つけて、形にしているかどうかということですね。

事務局:先生がおっしゃったように、公開の場でみなさんが判断できる場はすごく大事です。みなさん行政の力を買いかぶってらっしゃるところがある。行政が、いろんな活動をされているボランティアグループやNPOの情報をすべてつかんでいるということはあり得ない話です。「あるよ」という情報があっても、具体的な活動内容や、本当に危ないところじゃないのかという情報を正確に把握してるかというと、意外とそうではないんです。行政の情報力は大したことない。それをカバーするものとして、少なくともみんなで判断できるような公開の場があれば、市民の目もあるし、行政の目もあるし。それが重要ではないでしょうか。

市民:顔を出せる場がもしあれば、見えてくるかもしれない。

牧里:中間支援組織というのかね。市民がそういうことをやるのを、行政が建物の提供とか組織そのものを認知したりして、支援する。ワンクッションおくんです。行政がいきなりやろうと思ったら何もできないというけれど、そうでもない。行政は大きな組織だし、金を持っているし、公権を握っているし、ブランド名として「公共性のある団体」です。やはり悪いことで利用したい人もいるわけです。すると、どちらかというと行政のほうが否定的になる。あまり関わりすぎて、特定の事業者ばかりえこひいきしていると言われても困る。こういう市民団体はなんとか系の団体でややこしいんじゃないかとか、宗教系は困るとか。そこで、いろんな組織が集まって、市民がネットワークをつくっていき、悪いものが落ちていいものが集まるような受け皿をちゃんとつくれば、そこにいい人が寄ってくる。それを行政が支援するというのが新しいやり方です。今までは行政が手を組むのはたいてい、自治会・町内会だった。何丁目とかが丸ごと入るし、やりやすい。宗教色があるとかお金が絡むとかいうこともないし、そのまちに住んでいるだけだからできた。ところが、地域自体が変わってきた。自治会・町内会が住んでいる人々を全部消化できなくなった。行政はそこだけ見ていたらえらいことになるし、かといって代わりの組織もできない。その役目をNPOができたらいいけれど、NPOにもいろんなものがある。隠れみのにして、麻薬のボランティアをやったりするNPOもある。そういうのを見ると、行政は「ちょっと…」となる。でも、その代わりに意識のある市民がネットワークをつくって市民管理でやると、行政にとっても情報把握がしやすい関係になるし、安心。そこでNPOの良し悪しをセレクトしてもらったり、NPOには「そこの協会に話つけてますか」と言える。いちいち自分で対応しなくてもいい。それが1つのまちづくりなんです。行政におまかせという時代は終わった。私たちができること、市民ができること、行政ができること、それぞれ違うんです。それをどうつなぎ合わせるかです。先ほど、議会とワーキンググループの話をしましたが、そういう時代だと私は思います。

市民:私はNPOの活動をしています。4年前に法人化したときに、ハートフル神戸さんにご挨拶したときは非常に協力的でして、今でも仲良くやっております。その次は、高年福祉課に協力していただき、私どものチラシを市役所においてもいただいたりして、市民の相談を受ける活動をしております。しかし、社協さんは全然相手にしてくれませんでした。丸3年活動してきて、社協さんとは1回も接点がない。最初にご挨拶したときに無視されました。市民会議でご縁がありましたから、今日からまたよろしくお願いします。

私たちは、いろんな制度の啓蒙活動を重点的にやってきましたが、この4月から高齢者の転居支援事業をすることにしました。新事業のサイトも開きましたが、賃貸住宅の情報発信をするニュースソースは、ある大学の生徒さんが起業した不動産業者の検索サイトの中の高齢者に貸してもいいという部分だけ私どもとリンクすることになった。それに上場会社が協力すると言うことで、NPOと学生ベンチャーと上場会社の協力でこの4月からスタートする事業です。いかがわしいNPOではないので、皆さんよろしくお願いします。

牧里:たぶん芦屋市社協だけでなく、どこの社協もNPOとうまくいってない。いろいろあるんです。社協は役所とよく似て古い体制なんです。例えば、町内会・自治会とは関わるけど、企業やNPOには一定の距離が開く。まったく役所と同じ行動パターンをとってきたと思う。それが今ちょっと変わり目です。ボランティアをやっている人もいれば、NPOをやっている人もいるし、企業でも社会貢献やっているところが増えてきた。社協はそれらとどう付き合うのか戸惑っているところがある。これからです。ちゃんと社協と付き合えるNPOになるとかNPOと付き合える社協づくりをやるとか、これからの課題です。

市民:さきほどの先生の話で、京都の話が出ましたけど、京都に田の字エリアがある。三条と河原町の間にちょうど田の字になっているエリアがあって、そこは特区をとって、中学校の校舎の下に、老人ホームやデイサービス、保育所をつくっている。全部町内会の人がつくり、教育がいいからそこの中に移り住みたいということで不動産がどんどん上がってきている。人気が出てきている。ご町内の力はすごいと私は思っていまして、そういうのこそ芦屋ができたらいいんじゃないかと思いました。

牧里: 先の京都の小学校の話のように、NPO法がなかった時代も、みんながお金を出し合って自分たちのまちをつくっていこうとしていました。今は洗練されてきたし、NPOが公共的なことをやるための下地や気運があります。自治会型の地縁組織とテーマを持ったNPO型をどうやってつないで形にしていくかが今の課題だと思います。どこでもできるわけじゃないけど、京都のそういう学区だからできていたり、大阪もいくつかそういう取り組みがあったり、神戸もいくつかあると思う。

そもそも自治会の力がちゃんとあって、そういう発想を持っているかどうかです。問題解決のためにどういう組織を選ぶか。問題解決が先にあって、組織があるわけじゃないんです。そういうところはちゃんとそういう形でどんどん新しいスタイルをつくっている。古い革袋に新しい酒を入れていくという形ですね。そういうことができていく。芦屋も全部ではできないけど、そういうことがやれる地域もあれば、もっと違った形の地域もある。それぞれの地域が工夫するというというか、それぞれのNPOが知恵を出す時代かな。いいお話ありがとうございました。

豊中でも市民公益条例をつくりましたが、時間がかかりました。結構ハードですね。でも市が支援できるのは立ち上げだけです。継続しようとするとなかなかそこまでいかない。立ち上げ資金までは出せるけど、後がなかなか続かないのです。やはりNPOが力をつけてやっていかないと、なかなか難しいと思う。でもこれから、介護保険の事業者が出てきたりするから、ちゃんと自分たちで自分たちの事業を起こしていくことが必要です。芦屋ならできそうな気がするけど。資産もあるかもしれんし。

市民:私は今回、いろいろ勉強させていただいて、ますますまちづくりが難しいと思いました。やり方次第と言えども、やり方が難しいなと思います。かつて転勤で加古川にいたとき、まちづくりのことでPTAのOBが集まって子どものためのグループをつくった。そのときはだいぶん前ですが、地域エゴというものをまちづくりと勘違いするなと言われました。確かにそういうものに引っかかる部分もあったかもしれない。その辺の難しさがあります。地域エゴとまちづくりのとても難しい関係についてそのとき勉強したのですが、その辺を教えてください。

牧里:なかなか難しいところがありましてね。まちづくりは具体的でないと、説得力はないし、具体的にするということは、自分の地域で実現させるわけだから、「あんたの地域だけ良くなるやないか」となるわけですね。ですから、やっていることが他にも広がる可能性があるということが大事です。広げるメッセージを出してないといけない。「私たちはこのような条件が整ってやれているけれど、他のところもできるんじゃないですか」ということです。こっちが行って、出店つくるわけにいかんから、地域のかたがやる気にならないとできない。そういう意味でのいい意味の地域エゴです。「おらが村をこうしたい」ということです。それが特定の人だけにならずにまちの中の広がる話になったり、他の地域の参考になったり、そういうことを常にやっていくことが大事だと思う。なかなかその線の引き方が難しいですけどね。

市民:時代が時代だったかもしれません。

牧里:うちの地域でもありますよ。例えば、得点にしたい人がいますやん。「わしがつくったんや」と言いたい人のことです。それで地道にやっているボランティアが反発するわけです、「なによあの人」って。そういう人には、バザーの1品でも余計に出してもらったらいいんです。「自分がつくった」と言うことを責めてしまうと、金集めもしてくれなくなりますから、ものは考えようです。確かに1つのことをやればいろいろあります。僕らもそうですよ。ちゃんとしなかったら、「大学の先生が偉そうにするな」と言われる。

それが楽しいという思いがないといけない。そうでないと利害が出て、結果としてそれがみんなの関係を壊してしまう。さっきおっしゃったように子どもも一緒。「同じ目線でやることが楽しいんだよ」「それがまちづくりなんだよ」ということです。

私は、福祉のまちづくりと言っているけれど、何もいい施設をつくれとか言いたいんじゃない。「楽しいことをさせてもらっている」ということこそ、福祉じゃないか。まちに関わらせてもらって、結構喜んでくれる人がいて、気持ちいい。こんなありがたいことはない。私は、ボランティアは究極のレジャーだと言っているんです。金払って汗かいて時間出して楽しませてもらっている。こんなの他にありませんよ。

藤井:牧里先生が、地域福祉計画では事業を選択すると言っていましたね。要するに、これをやったらみんなに波及効果があって、行政も住民も協働ができて、なおかつそれがまちづくりになるということを見つけることが重要です。さっき宅老所のことをおっしゃったけど、先生が事例を出された高浜市の地域福祉計画なんかは、小学校区ごとに宅老所をつくろうということでプログラムを市民と一緒に考えた。その後、地域福祉計画の中で住民と一緒になって「じいあんどばあ」という名で民家改装をした。そういうのを市民が考え、居心地のいい名称とユニークなものをつくっていくわけです。

行政の計画は、「計画立てて、予算がついて、それをとにかくコンプリートする」という形です。市民の計画づくりというのは、計画しながらもうやっちゃっている。計画ができた頃にはもう動いているっていうのが市民のプロジェクト方式です。地域福祉計画というのはその中間です。だから、何か立派なもの、コンプリートしたものをつくるというよりは、大いに行政と一緒になって実験していくことです。少々失敗してもいいから、とにかくそういうのを見つけて、市民と行政と一緒に芦屋のまちづくりを実験しようやないか。そういうものを今度の計画で見つけていけばいい。そのネタや素材をこの市民会議の中で皆さんが発想としてお出しになったので、これらをより計画の中で生かせるといいなと思いました。

牧里:「この後どうなるんやろ。これで終わりかな」と思って心配しているかたもいらっしゃいます。策定委員にはならないでいいという人もいるし、なりたいという人もいるだろうけど、せっかく集まったのだから「市民で計画を見守る会」なんかつくっていただいて、策定委員会のあるときは、ギャラリーで来ていただいて、策定委員会の後に市民懇談会を1時間でもやればどうですか。これは他の市でやっているけど、話を聞きながら、代表で誰かが市民委員に「あんたちゃんと言うてない」「何でこんなこと言わんの?」と言えるし、井戸端会議ができるし。そういうことをセットしたらどうですか。

市民:市民会議に参加したのは、芦屋のことを真剣に考えているメンバーだ。僕自身ずっと難しいと思って悩んでいたものが、ここでスムーズに出てきた。ここにいろんなヒントがあるなと思った。いろんなこと聞かせてもらいたいし、これも聞きたい、あれも聞きたい、これも悩んでるねん…という話を。

牧里:一応提案だけしておきました。

市民:さっき先生が、女性はあつかましいとおっしゃいましたが、情熱があふれているものですから、あつかましくならざるを得ない。私もおせっかいだなと思いながら、つい言ってしまう。

ワークショップで学んだのが“LOVE”の精神です。“Listen Open Voice Enjoy”です。まさしく、最後にEnjoyがくるのは価値があることです。そのためには自分が生き生きしなければならない。私は家族の会をしていますので、ときどき相談のお電話をいただくんですけど、やはり声を出すべきです。家の中で、ただずっと介護だけをしていくんじゃなくて、「市民が働きかけよう」ということを皆さんにお伝えしている。すると、どこか道が開けてくるんです。本当に悩んでお電話いただいて、私は何もできず「市のかたや施設や在宅介護支援センターに問い合わせて」とか「相談して」しか言えないけれど、なんか道が開けてきた。それが大事だと思います。1つ1つゆっくりでしたけど、出来上がってきた。公的なかたたちも応援していただいて、市役所にも社協にもお世話になっております。会議にそういうかたたちが出てくれるのは、芦屋だけなんです。他のところは社協が抱えている。芦屋の場合は市役所のかたとかいろいろなところから2ヶ月ごとにご参加いただきますので、常によかったと思う。「声を出すこと」は大事。せっかくこういう会ができたので、生かしていきたいです。

藤井:すいません。ちょっとだけ宣伝させてください。地域福祉より高齢者福祉の方が少し先行していて、行政とか当事者とか認知症の高齢者の会とか専門家などが集まって、高齢者ケアをどうするかという話し合いをやっています。今度はそれを小学校区単位で住民が集まるサポートをしようっていう計画です。

市民:私は市民公募で応募しましたが、実は在宅介護支援センターで仕事をさせていただいています。高齢者のかたを地域で見守り支えていくにはどうすればいいかを考えています。今、藤井先生がおっしゃったとおり、認知症のかたに早く気がつき、みんなで地域で見守りをする活動を進めるためには、まずは啓発活動がいるので、そのためのリーフレットがいります。「認知症ってどんなん?」の名でプロジェクトチームをつくったんです。それをつくったのが地域ケア会議といって、地域のいろいろな団体が集まって福祉を進めていこうとするものです。今回は目標だけで終わってしまわないで、どれだけ到達できたかをチェックしながら、1年間活動しており、計画倒れにならない、絵に描いた餅じゃない高齢者を支える仕組みができつつあると実感しています。だから私たち高齢者福祉を考える者としては、地域福祉計画と手を組んで、「子どもからお年寄りまで明日を支えるんだ」と思っています。

牧里:LOVEやね。

市民:「この会ができたので…」と言ってくださったので、この会はここで終わらないなと。思い込みが激しくてごめんなさい。

市民:いろんなかたとの接点を持つ機会は、なかなかないですもんね。

市民:この会を終わらせないためにどうすればいいか、知恵を絞らないといけないと思ってるんです。

牧里:皆さんの中で、世話役がいる。そして、市役所は場所の提供はできるでしょ?せっかくのお付き合いがあるので、みんなが集まれるときに、「部屋貸して」とか「策定委員会の後は交流会入れてね」「懇談会入れてね」とか言って、それが定例化すると集まりやすい。やはりそれは「みなさんが主体に」が大事。役所は土俵を作るだけです。あまりやりすぎると、「市役所がリードして私たちをたぶらかしている」と思われてしまうから、市役所はあくまで、みなさんのやりやすいような土俵作りをする。お手伝いするとか、会場提供したり、情報提供したりとか。そのことで、みなさんから意見聞いたりとか、見返りがあるから。

なかなか役所は固いですね。時間があるので傍聴委員の人に「どうぞ発言してください」と言うと、「ちょっと暴走しすぎ」って言われて、傍聴委員の人も「え、発言の機会あるんですか」ってびっくりしたりして。でも、せっかく来ていただいたから、一般の人も感じたこと一言言っていただけたらと考えた。それが「いっそのこと懇談会したらどうや」と発展したケースもあります。あらかじめそうしておいたら、それが目当てでくる傍聴委員もいるでしょう。工夫すれば道は開ける。

事務局:それでは、お話もつきませんが、時間もオーバーしているので、今日の勉強会を終わらせていただきます。

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こども福祉部福祉室地域福祉課地域福祉係

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